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Channel: 武蔵野舟木組2019 舟木一夫と共に
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あけましておめでとうございます

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謹んで 新春の お慶びを申し上げます

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今年は新年号に変わる年となり、平成も終わる節目の年の幕開けとなりました。
平成の30年を思い起こすよりも、昭和の時代が、更に遠くに行ってしまったとか感じてしまいます。
俳人の中村草田男は「降る雪や 明治は遠く なりにけり」と詠みましたが、それを模して詠むとすれば
「初春や 昭和は遠く なりにけり」と詠んでしまいます。
昭和の時代は、私たちのとっては、実に懐かしく多様な時代でした。戦前の20年間は知る由もありませんが、戦後の日本と歩みと共にするように育った年代です。

戦後の混乱期からの復興こそ知らない年代ですが、ラジオからテレビになり、白黒テレビがカラーテレビになります。戦後の「三種の神器」と呼ばれた電気洗濯機、電気冷蔵庫、そしてテレビ。これれは勿論ありませんから、洗濯はタライに洗濯板に固形石鹸。冷蔵庫は氷屋が持ってくる氷を入れた冷蔵庫。テレビはなくラジオの時代でした。電話機のある家は稀で、ご近所さんに借りに行ったり、呼び出したり。
暖房は炭、風呂は薪や石炭で炊き、トイレはボットン便所。トイレットペーパーは無く落とし紙。水道も無く井戸水を汲み上げる。蚊やハエも多く、蚊取り線香に蚊帳。ハエ叩きや蝿帳。給食は鯨カツに脱脂粉乳などなど、子供の頃は今とは全く違います。

商店街のスピーカーや店舗からは、常にラジオから歌謡曲が流れていました。
美空ひばり、三波春夫、藤山一郎、フランク永井、ダークダックス、マヒナスターズ、大津美子、コロムビア・ローズ、白根一夫、三橋美智也、春日八郎などなど。

坂本九や森山加代子が活躍して、橋幸夫がデビュー。この頃に我が家に初めてレコードプレーヤーが入ります。初めて買ったレコードが橋幸夫の「南海の美少年」と父が選らんだ村田英雄の「王将」2枚しかないレコードが宝物のようでした。
橋幸夫、吉永小百合の「いつでも夢を」がレコード大賞を獲り、明くる年舟木一夫「高校三年生」「学園広場」でレコード大賞新人賞を獲得します。

ラジオを聴くのが楽しくて仕方のない時期でした。トランジスタラジオなど不要と、買うことの無かった我が家では、真空管のラジオでは夜寝る時に聞く事が出来ず、電池も要らないゲルマニュームラジオのイヤホーンから聞こえる小さな音を、布団の中で必死に聞いたものです。

そんな子供の頃の昭和から、東京オリンピック、大坂万博などの世界的イベントが日本で行われ、昭和の時代はどんどん進歩していきます。
三種の神器も新三種の神器の時代となり、カラーテレビ、クーラー、カーの3Cになりました。戦後の昭和の時代の変遷を、身をもって見てきたのが我々の年代です。その我々の年代も、60代後半から70代にになり、昭和の時代をしらない人達が増えました。戦前の話を聞ける先輩たちも次々と居なくなり、我々が後輩たちに聞かせる時代になっています。

舟木さんの長い芸能生活には、ファンとして常に寄り添っていた訳ではありませんが、同じ世相を見て生きて来ましたから、思いは違えども戦友のような思いで接する事もあります。舟木さんの往年の歌を聞き、又映画を見て、そしてコンサートやインタビューで語られる舟木さんの思いに、常に共感を覚えるのです。

「舟木一夫に負けるか」と思っていたと語る友人が居ます。「舟木一夫になりたい」と思った私が居ます。とてもとても舟木さんに勝てる訳ではありませんし、舟木一夫になれる事などありえません。ただただ、同世代のシンボル的な存在である舟木さんには、いつまでも元気で、同世代に勇気を与える存在で、頑張って頂きたいと思うのです。

                  2019年元旦 さすらい記

元日や 舟木詣でで 夢うつつ

昭和38年6月9日番組表

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昭和38年6月5日レコード「高校三年生」発売。
この日が舟木一夫デビューの日とされるが、舟木さんはそれ以前に、既にテレビデビューを果たしている。大倉明さんの著書「青春賛歌」より引用させて貰うと、同年5月20日に日本テレビ「コロムビア花のステージ」、同じく23日にはフジテレビの「歌の饗宴」への出演が決まり、日本テレビは録画放送になるため、5月23日のフジテレビがテレビ初出演となっている。

今回資料として番組表を載せてみたが、レコード発売後の6月9日。デビュー後初めてのテレビ出演となったTBSの「第206回ロッテ歌のアルバム」当時は録画放送の方が少なかったから、公開生放送。こまどり姉妹、北原謙二と共演している。

ロッテは戦後、チューインガムの製造販売を行って「スペアミントガム」「グリーンガム」が大当たりした。新宿に工場が有ったのを今でも覚えているし、チューインガムの外包みを100円分1口で、懸賞募集があり、当時は道端に外包みが捨ててある事が多かったので、買って溜めるだけでなく、拾って集めた事もある。笑
高価なおもちゃのトランシーバーが2セット当たって、大喜びした思い出もある。
舟木さんデビューの明くる年の昭和39年に、ロッテはガーナチョコレートを発売。
チョコレートの工場は浦和に出来、その隣が父の勤める製薬会社の工場で、浦和工場の支店長と仲の良かった父は、大量にガーナチョコレートやセミスイートチョコなどを家に持ち帰ってきたものだった。その後のバッカスチョコやラミーチョコなども、ケースで貰って来てくれたので、未だにロッテチョコレートのファンなのだ。
その支店長は、貧乏していたロッテの創業者の面倒をみた事で、支店長になられたのだと父から聞いたものだ。チョコが大量にあるものだから、又行われた懸賞でも大量に応募して、今度は、ラジオ付きミニレコードプレーヤーも当てる事が出来た。

「一週間のご無沙汰でした。玉置宏でございます。お口の恋人、ロッテ提供『歌のアルバム』・・・」舟木さんと玉置さんとは、この番組での出会いが最初だっただろう。そして長いお付き合いが進むのです。

番組表には、懐かしい番組が沢山載っています。
番組を探しながら、当時を思い出して頂けると良いですね。


昭和38年6月23日番組表

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この日の出演は5月に録画された「コロムビア花のステージ」なのでしょうか?
「青春賛歌」によれば、この日から「コロムビア歌謡大行進」のために、初飛行機に乗り広島や福岡をめぐる旅に出ているとあります。

番組表を見るとビックリする事があります。それは大相撲名古屋場所。NHKだけでなく日本テレビとTBSでも放送しています。現在と違い、番組を作るのも大変ですから、それこそ「待ってました!」とばかりに、放送して、放送枠を埋めたのでしょう。当然相撲ブームでしたから、スポンサーもそれだけ付いたと言う事です。

「てなもんや三度笠」は余り見ませんでしたし、「シャボン玉ホリデー」も余り未定ません。「ポンポン大将」から『危険信号』を見ており、その後は『隠密剣士」
当時は父と母が共働きで、裕福なわけではないのに、お手伝いのお姉さんが居た頃です。妹とは11離れていましたからまだ幼児だったので、面倒をみてくれており、そのお姉さんとはチャンネル争いをしていた頃です。

昭和38年7月13日番組表

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『高校三年生」は当時はデビューでの発売は5000枚が相場だったが、4万枚に決定し、7月20日には11万5752枚、8月3日には16万1613枚、9月16日41万1494枚。
年末には100万枚のミリオンセラーとなった。(大倉明著 青春賛歌より)

驚異的なレコード売り上げ枚数には、改めて驚かされます。それに伴い、マスメディアで取り上げられる事が実に多くなっていきます。

昭和38年6月5日は、『高校三年生」のレコード発売日ですが、この日「黒部の太陽」でお馴染みの黒四ダムが完成した日でもあります。ちなみに、「黒部の太陽」は、黒四ダムを作るためのトンネル工事の話を描いたものですが、この原作は毎日新聞に掲載されました。そしてこの原作者の木本正次氏は、私の親友の父上でした。
マンモス団地が全国に出来、わが地域の団地に住んでおられ、勿論何度もお会いしています。

この年の6月に坂本九さんの「上を向いて歩こう」が「スキヤキ」と名前を変えて、全米ヒットチャートのナンバー1になっています。また、7月6日のNHK[夢で会いましょう」で初めて「こんにちは赤ちゃん」を歌って梓みちよさんがデビューしています。この年のレコード大賞を獲ったのはご存知の事でしょう。

昭和38年 7月の流行歌

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書いた方が、何を間違えて書いているかは不明な箇所がある。「修学旅行」は8月発売と思うのだが?「修学旅行」の事を書きたかったのかな。

この年に流行っていたCMは、と言うと「何であるアイデアル、これ常識」の植木等さんの傘のコマーシャル。つい最近の事のように思い出す。
翌年に東京オリンピックを控え、新幹線が開通する前に、38年7月に、日本で始めての100キロで走れる高速道路「名神高速道路」が開通しています。


昭和38年7月27日番組表

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時代を感じる番組を見つけました。
都市対抗野球の対戦が「全鐘紡 対 羽幌炭鉱」
まだまだ石炭産業が活発の頃だが、昭和45年には閉山してしまった。

この年8月に発表された全国の平均寿命は男性66歳 女性71歳。2017年の平均寿命は男性81歳 女性87歳だから、かなり長寿になっているね。
「船頭さん」と言う歌の中に♪村の渡しの船頭さんは 今年六十のおじいさん・・・
と言う歌詞があります。1941年の歌ですが、60歳と言えば、昔は本当にお爺さんでした。(笑)まもなく私も満70歳を迎えます。最近は本当に自分は爺さんだと思うようになりました。ガン箱間近の悪あがきをしています。(笑)

昭和38年8月5日広告

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ここ近年、話題を提供する事の多い週刊文春。
連載小説も、舟橋聖一、松本清張、司馬遼太郎。「モンローのような女」はその後、松竹の映画になった。主演は確か真理明美だったと思う。「燃えよ剣」は栗塚旭主演のテレビ時代劇にもなった。

山口瞳は、先日書いた「黒部の太陽」の原作者とは仲が良かったようで、友人の仲人さんだった。


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「日録20世紀 1963年版」 より

黒澤明監督の「天国と地獄」は強烈な印象を受けた映画だった。白黒映画なのだが、かばんを焼却炉で燃やすと、煙だけがカラー。これも強烈な心象を与えた。この年の3月には、吉展ちゃん誘拐事件があり、映画とダブったように見ていた。
「にっぽん昆虫記」も強烈な印象があるが、成人映画のような扱いだったのか、リアルには見ていない。

そして舟木さんの「高校三年生」でのデビューは、強烈で、その後の歌謡界も変えて行った。歴史的な部分で、取り上げられる歌手は稀である事は間違いなかった。

鶴亀

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祖父、祖母、父、母、おじ、おばが並んで、鶴亀を謡うのが正月二日の母の実家での恒例。大勢の地謡の中、小学生の私。「それ青陽の 春になれば・・・」
宝生流を子供の頃から学んだ祖父は、ここから俳号を青陽人とした。貿易会社にいた事もあり西洋と青陽を掛けたとも聞く。
声変わりもしていない甲高い声で「いかに奏聞申し候。毎年の嘉例のごとく・・・」は私一人の持ち分担。...
祖父が亡くなった後も数年続いたが、謡う人は皆居なくなった。我が家での謡いの声も、既に20年聞かれない。

昭和38年8月9日広告

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38年6月デビューした舟木さん。2ヵ月後の雑誌には、早くも舟木さんのヒットブームを追う記事が載っていた。(残念ながら本誌はありません)
年頭から載せている番組表や広告から、デビュー年の勢いを感じてください。


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昭和38年平凡7月号より(発売は5月)

舟木さんデビュー前の直前の「平凡」です。勿論舟木一夫の名前すら何処にも見つかりません。デビュー前年の人気ベスト10と、38年度の予想が書かれています。
舟木さんデビュー前の予想はどう変わるのでしょうか?次に雑誌が「明星」に変わりますが、そちらの昭和38年度のベストの記事です。

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昭和39年明星2月号(発売は12月)

雑誌が違うので、比較は難しいところですが、6月デビューの舟木さんが驚異的に人気を伸ばしたのが判ります。10月デビューの三田明さんも13位と驚異的でも有ります。女性の三沢あけみさんも票を伸ばしており、レコード大賞新人賞を、舟木さんと共に受賞したのは当然の事だったでしょう。

昭和38年8月11日番組表

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昭和38年8月21日

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昭和38年8月27日

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昭和38年8月30日



小説 舟木一夫

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昨日の投稿でも触れましたが、明星ではデビュー年の昭和38年12月号から昭和39年5月号までの半年にわたり、「小説 舟木一夫」が計6回連載されました。
残念ながら、全ての号は持っていないので、探しているところです。数年前より、国立国会図書館には、データとして残っているのが判っているのですが、行かれないままでいます。38年12月号、39年1月号、39年4月号が抜けており、全て揃ったところで、掲載したいと思っていますが、中々前に進みません。

という事で、図書館に行けば良いのですが、体調不良もあり中々いかれません。お読みの方の中に、抜けている号をお持ちの方が居られましたら、お貸しいただければと思っています。是非前文を手に入れて、第一回から掲載したいと思っている次第です。

「全文待てない。」と言う方には、既に3回、4回、最終回は、当ブログの書庫「小説舟木一夫」に掲載していますので、ご覧下さい。

チケット原券

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パンフレットのチラシにチケット。
どれもこれも大事に取ってある。身近な舟木さんの記念品だし、見返して楽しむ事が出来る。その中にチケットだけで無く、地域で配られた優待券などもある。
地域でしか配られないものだから、貴重といえば貴重なものだ。

10数年前、秋田の父の実家に挨拶に行った際、丁度舟木さんのコンサートがあり、舟友さんからもお誘い戴いて、千秋公園の中にある会場に向かった。
秋田の名物ババヘラアイスの売店も出ていて、舟友さんの入り待ちにお付き合い。
入り待ちの人数も少なく、舟友さんに後押しされて、初めて舟木さんと握手。「武蔵野から来ました」と言うと、舟木さんのお顔もほころんだ。まぁそれ以来武蔵野舟木組を名乗るのだが・・・

チケットを買っていなかったので、当日券の列に並んでいると、側にいた方から「これ使ってください」と言われて渡されたのが優待券。優待券が地域で配られているのは、初めて一人で行った水戸で知っていたから、ありがたく戴いた。
水戸のコンサートも、単身出張の時に、スーパーで優待券を見つけて、舟木さんのコンサートがあることを知り行ったのだった。

コンサートに頻繁に行くようになり、チケットはネットで殆ど買うようになったが、残念なのは記念となる原券でないこと。その後らふいんで買うようになると、再び原券が手に入るようになる。
もう一つ残念なのが新橋演舞場のチケット。他の劇場では、舟木さんの写真の付いたチケットだが、演舞場は文字だけ。(笑)これがどうも残念でならない。
それでもコンビニ発券も新橋演舞場も、大事に取ってある。捨てられないよ。

昭和38年9月4日記事

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映画会社の大映は、当時若手のスター不足だった。いち早く舟木さんの「高校三年生」に目をつけたのだろう。まだ新人で海のものとも山のともとも判らない新人の舟木さんだが、その人気にあやかって、大映の若手を売り出そうとしたのだろう。

姿美千子 昭和45年生まれ 1961年デビュー
橋幸夫主演の「すっとび仁義」の相手役募集で当選し、大映に所属した。

倉石功 昭和44年生まれ 1963年デビュー
1961年雑誌平凡のミスター平凡に応募し、ミスター平凡になり1963年大映所属。

高田美和 昭和47年生まれ 1962年デビュー
往年の時代劇スター高田浩吉長女。

渚まゆみ 昭和44年生まれ 昭和61年デビュー
芸名は「夕やけ子やけの赤とんぼ」に出演した際に山田耕作が命名。

堺正章 昭和46年生まれ 昭和52年子役デビュー
父は喜劇俳優堺駿二。子供の頃より父と一緒に撮影所に出入り。高校三年生出演後は、舟木映画で大映の他、日活、東映作品でも共演。


見事に大映はこの映画で、若手俳優をスター俳優へと導いたともいえる。大映の決断は確かに早かったが、途中で舟木さんを日活や東映に取られたのは、さぞ悔しかっただろうと推察できる。
舟木さんにとっても、歌手としてだけで無く、映画の世界、その後のお芝居の世界と広がっていくのだから、この映画が出来た事は、貴重な1ページだと思う。

昭和38年9月6日広告

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広告にある学園問題は、てっきり学園広場の撮影に関して、松原千恵子さんとの対談かと思ったが、レコードの学園広場は10月発売で、映画の学園広場は11月公開。
レコードや映画には関係なく、スター同士の対談という事で記事になったようだ。

当時一連の舟木さんのレコードは学園ソングと呼ばれ、新しいジャンルが出来た。
舟木さんの「高校三年生」「修学旅行」「学園広場」「仲間たち」「君たちがいて僕がいた」など、三田明「美しい十代」安達明「女学生」梶光夫「青春の城下町」
思い出しても懐かしい。

美智子様の記事も、当時は必ずと言ってよいほど載っていました。

チラシの整理

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押入れにどっさり入った資料の整理を始めたが、そう簡単には終わらない。ファイルしてあるものも、そのままのものも、とりあえずチラシを年代別に区別して、ファイルに収めなおす事にした。
西暦で書かれてるもの、年号で書かれてるもの、頭が悪いから、直ぐに判別が付かず、頭の中が混乱しながらの整理。殆ど今までは、スキャンして画像で保管もしていたが、以前のパソコンに入ったままなので、もう一度スキャンするにも、この分量だから、そう簡単に出来そうもない。とりあえず写真に撮ってみた。
1枚しかないものもあれば、数十枚あるものもあり、整理の仕方を考えながらだから、中々進まない。

新聞の切り抜き、雑誌の切り抜き、チケットの半券、舟木グッズなどなど、それらの整理もまだあるのだが、今日はこれで店じまい。(笑)

また追って報告します。

昭和38年9月18日広告

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この年の9月、日本コロムビアの常務兼レコード事業部長でプロデューサーだった伊藤氏が、三菱電機の支援を受け独立し、日本クラウンを設立。
この時、作詞家の星野哲郎、歌手では北島三郎、まだデビュー前の水前寺清子らがコロムビアからクラウンへと移って行った。
翌年、水前寺清子はクラウンからデビュー。西郷輝彦もデビューしている。

当時の日本コロムビアの支持母体は日立グループ。日本クラウンの支持母体は三菱グループ。レコード界が大きく動いた時だ。

宇仁貫三さんの訃報

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殺陣師の宇仁貫三さんが亡くなられた。

市原悦子さんの朗読劇「スーホの白い馬」を演出したのが、当時一緒に仕事をしていたバイオリンニストのまどかまるこ。スーホを各学校に売り込むために、市原さんにお会いしたのはその時。ドラマや映画で見る市原さんと、全く語り口調の変わらない、庶民的な素敵なおば様だった。そんな市原さんの訃報を聞いたばかり。

今朝の新聞に、市原さんの訃報の下に、宇仁貫三さんの訃報記事を見つけてビックリした。三船プロ久世七曜会のお一人で、用心棒や椿三十郎などの殺陣師として有名な久世竜先生の門下生。他に丸大ハムのCMで有名になった田中浩さんや山口さん、木村さんなどもいた。七曜会は、斬られ役の集団で、久世先生の殺陣には必要な方々だった。田中さんは「レッドサン」に出演された他、三船さんの影武者としても活躍。山口さんは「荒野の素浪人」で三船さんの影武者だった。
宇仁さんは俳優業から殺陣師として活躍。三船プロでは、最後まで三船敏郎さんを支えていた。その後「鬼平犯科帳」や「剣客商売」などの殺陣師として活躍。

小柄ながらスピード感のある激しい殺陣を付けておられる姿は、今でも目に焼きついている。さすらい自身は、久世先生とのお仕事の方が多かったが、宇仁さんの殺陣の動きのスピード感は、久世先生には無い斬新なものだった。

三船さんの殺陣は久世竜、宇仁貫三。中村錦之介さんの殺陣は尾形伸之介。
尾形さんは、昭和44年明治座七月公演、「新納鶴千代」で俳優として出演されている。


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8月9日に吉永小百合宅にピストルとナイフを持った男が襲撃。犯人は熱狂的なファンで、小百合ちゃんに自分の名前の刺青をしたかったと自供。ピストルを発射して、警官に重症を負わせている。
草加次郎名での脅迫状が7通届いていたと言う。当時の写真を見ると、左足に包帯が巻かれているが、無事だった。
9月には地下鉄京橋駅で、時限爆弾が爆発。草加次郎事件とされている。


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一宮市萩原 生家跡

舟木さんの映画で、「高校三年生」「花咲く乙女たち」の二度にわたり、舟木さんの出身地愛知県一宮市で撮影ロケが行われています。

過去三度、地元の有志による舟木一夫展示会が行われ、さすらいも二度お伺いしました。
高校三年生のオープニングは、一ノ宮駅前のロータリー。近くの商店街もロケ地の一つでした。2014年には、花咲く乙女たちで舟木さんと共演した西尾三枝子さんも交えて、総勢10数人で展示会に参加したり、二つの映画のロケ地めぐりもしました。

有志の方の作られたロケ地案内の地図も素晴らしいものでしたし、集められた資料も大変な数があります。高校三年生当時に、ロケに参加された方、見学された方などのお話を聞けたのも有意義な事でした。
まだ当時は、舟木さんの生家である長屋も存在していましたから、良い思いでになっています。

浅草国際劇場 昭和40年4月

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第1景 東京は恋する
   歌:舟木一夫 
   司会:玉置宏
   踊り:松竹歌劇団
   コーラス:松竹男性合唱団 コロムビア女声合唱団
   「東京は恋する」「北国の街」

第2景 東京の青春
   歌:舟木一夫
   司会:玉置宏
   踊り:松竹歌劇団
「あゝ青春の胸の血は」「あの娘を守ろう」「成人のブルース」「花咲く乙女たち」

第3景 京ふたり子
   歌:京ふたり子
   司会:玉置宏
  「貴男はお月様」

第4景 古き日本を歌う
   歌:舟木一夫
   踊り:松竹歌劇団
   演奏:三味線豊寿 三味線豊寿満
  「金比羅船々」「北海盆唄」「小諸馬子唄」「ちゃっきり節」

第5景 東京のおばあちゃん
   出演:舟木一夫・堺駿二・千葉信男・海野かつを・逗子とんぼ・天草めぐみ
   司会:玉置宏
 「夢淡き東京」「船頭小唄」「東京ヴギウギ」「ワン・レイン・ナイツ東京」
 「東京新宿恋の街」

第6景 あゝリンドウの花咲けど
   歌:舟木一夫
   「あゝリンドウの花咲けど」

第7景 忘れられない歌
   歌:舟木一夫
   司会:玉置宏
   「高校三年生」「君たちがいて僕がいた」「学園広場」

第8景 木挽きの哀愁
   歌:舟木一夫
   司会:玉置宏
   「木挽き哀歌」「はやぶさの歌」

第9景 今は東京 昔はお江戸
   歌:舟木一夫
   演奏:三味線豊寿 三味線豊寿満
   「火消し若衆」「おみこし野郎」「右衛門七討入り」

第10景 東京は恋する
   歌:舟木一夫
   フィナーレ全員出演
   「北国の街」「東京は恋する」


行く事のなかった浅草国際劇場のパンフレットを見ながら、頭の中で模倣しています。知る限りの古い浅草6区の様子や、当時の浅草の写真を思い出し、国際劇場の有った場所での光景を描いています。

パンフレットの第1景から10景まで、松竹歌劇団の写真を見て想像します。
出演者の堺駿二さん、確か長谷川一夫さんの銭形平次では岡っ引きのガラッ八でした。千葉信男さんはおっとりとしたデブ俳優。海野かつをさんは、独特の声で、今でも耳の奥に残っています。逗子とんぼさんもとぼけキャラの喜劇人でした。


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