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「僕の昭和歌謡史」コラムニストの泉麻人氏の著書。彼は1956年の東京生まれ。若干年齢はさすらいよりも下の年代だが、環境がそうさせたのか、記憶の底にあるものは、私と全く変わらないと言っていい。言葉がしゃべれるようになった頃に口ずさんでいたのが「バナナボート」だそうで、浜村美智子が歌って大ヒットした。「バナナボート」の原曲は、舟木さんも大きな影響を受けたというハリー・ベラフォンテが歌っている。舟木さんご自身の話では、この曲ではなく「マティルダ」の曲が衝撃的だったようだ。泉氏の最初に好きになったの歌手が坂本九さんで、その次が「ハイそれまでヨ」の植木等さん。「スーダラ節」「ドント節」など、無責任時代という言葉が、今では懐かしいが、強烈なインパクトがあった事は私も忘れない。そして坂本九、植木等に続いて好きになったのが舟木さんで、その原文を掲載させて貰った。最後の方に書かれている安達明の事を少し書いてみよう。彼は私と同い年で、「潮風で待つ少女」でデビューして二枚目のレコード「女学生」が大ヒットした。♪うすむらさいきの 藤棚の 下で歌ったアべ・マリア優しい可愛らしい歌声で、今でも彼の声は耳から離れないし、思い出したようにカラオケで歌う事もある。その大ヒットしたころ、修学旅行先で彼と出会う事になる。確か鹿児島の指宿に泊まった時だと思うが、当時は違う学校の修学旅行の団体が同じ旅館に泊まる事があり、彼らと同じ旅館だった。彼は高千穂高校だったと思うが、私の母校とは同じ、当時は珍しい紺色の学生服だった。制服を確認したいと思って調べたが、既に廃校になっていた。残念ながら平成23年、63歳の若さで亡くなってて、それを聞いた時は大きなショックを受けたものだった。そして「君たちがいて僕がいた」で共演した本間千代子さん。先日から見ている古いビデオのバラエテーで、舟木さんが高校20年生で登場する。学生服の胸元に「舟木」と書かれた大きな名札を付けて登場し、ハンダースや小松政夫さん、伊東四郎さん谷啓さん達とコントを演じるのだが、何かというと高校三年生が流れ、コントの〆の言葉に『君たちがいて僕がいた』を使っている。なんだが恥ずかしい。(笑)