↑ランキングチェック↑
大ヒット祈願!この曲で紅白へ!
舟木さんのデビューした昭和38年(1963年)漠然とその当時近辺の記憶はあるのだが、それが舟木さんのデビューした年であるかどうかは、定かではなく、自分史と照らし合わせて当時を調べてみる。デビューの6月5日は、まだ舟木さん18歳で高校を卒業したばかり。さすらいはと言えば14歳の中学三年生。8月には「高校三年生」に続いて「修学旅行」は発売されていたので、秋の京都奈良への修学旅行のバスの中では、これらの歌を唄っていたような記憶がある。京都奈良での観光バスは、ヤサカ観光バスで、3クラス3台のバスで移動したが、我々のクラスのバスのバスガイドさんが一番綺麗だった記憶がある。(笑)ところが残念なことに、私は熱を出し、奈良観光は出来たものの、メインイベントだった「時代祭」を見る事は出来なかった。この年の初めに「鉄腕アトム」のテレビ放送が始まった。まだ白黒テレビの時代だが、人気アニメだけに、見ていた記憶はある。この年の視聴率の高いテレビ番組は、第一位がプロレス。まだ街頭テレビで見ていた頃からのスーパースターは力道山。昭和34年の皇太子殿下の結婚パレードの実況中継の頃から、急速にテレビが普及し始め、舟木さんデビューのこの年、次年度の東京オリンピックの影響もあり、更にテレビが普及していった。我が家には昭和35年ごろにテレビは来たと思う。そんな中、空手チョップや、噛みつきブラッシーとの死闘を演じた力道山が、刺殺されるという事件が12月に起こる。この年の視聴率人気上位を見るとプロレスベン・ケーシー咲子さんちょっと若い季節それは私です私の秘密ゼスチャー事件記者七人の刑事どれもこれも懐かしく思い出される番組だ。「ベン・ケーシー」と聞けば、直ぐにビンセント・エドワーズの名前が出て来るほど、印象深い番組だった。映画はテレビの普及に押されて、その後衰退していくのだが、前年の昭和37年は、全国の映画館が7457館と、過去最大の年だったという。地元武蔵境にも2館の映画館があったが、この年にはすでに1館しかなかった。興行成績を見ると「にっぽん昆虫記」「光る海」「赤いハンカチ」がベスト3とある。「光る海」は吉永小百合・浜田光夫のコンビでの映画。「赤いハンカチ」は石原裕次郎映画。勿論この2本はリアルタイムで見た。「にっぽん昆虫記」は鬼才今村昌平の作品で、左幸子さんが、三国連太郎さんに、おっぱいを吸われるシーンが話題になり、思春期のさすらいとしては、興味津々だったのだが、見る事はなかった。ただ後年、この映画をテレビで見たが、そのシーンは興味本位の場面ではなく、子供を産み、乳が張って仕方のない嫁の乳を、義父が可愛そうと思い、張りを取るために乳を吸ったと言うシーンだった。洋画では「史上最大の作戦」「アラビアのロレンス」「大脱走」がヒット。3作品とも今でも記憶に残る作品で、学校を抜け出して数人の友人と新宿まで見に行ったものだ。石原裕次郎さんのテレビ番組もあり、9月には舟木さんもゲスト出演している。当時の首相は池田勇人で、所得倍増計画なんて言葉が懐かしい。この年に「ハウスバーモントカレー」が発売されている。今でも我が家はこれを使っているらしいが、劇的にカレーが美味しくなった気がした。色々なデータを見ると昭和35年に大工さんの手間賃が800円だったのが、昭和38年には1500円になっている。40年になると2000円になっているから、所得倍増計画も順調に推移していたのだろう。公務員の初任給が14000円前後。タバコ70円バス15円電車初乗り10円タクシー初乗り100円理髪店280円週刊誌30円銭湯30円舟木さんはこの年、11月に映画「高校三年生」が封切。12月にはNHK大河ドラマ「赤穂浪士」の出演決定。「レコード大賞新人賞受賞」「NHK紅白歌合戦出場」12月12日誕生日には、四谷「梅の湯」で19歳のバースディ―パーティーが行われた。さすらいは当時177㎝ぐらいで、あくる年中学卒業時には180㎝を越えていた。この年、居合道3段の試験に合格したが、その試験会場で、やはり受験していた三島由紀夫の姿を見たし、本郷三丁目にあった相撲部屋が居合道場で、ここの親方で居合道の大先生から、「相撲に入れ」と散々誘われたものだった。(笑)*書き忘れこの年の11月22日、テレビ初のアメリカとの生放送があると言うので、学校への出掛け、午前7時台だと思うがテレビを見ていたら、ケネディー米大統領の狙撃事件が生放送で流れる。暗殺事件を、それも海の向こうのアメリカの事件を生で見た衝撃は、今でも忘れられない。