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Channel: 武蔵野舟木組2019 舟木一夫と共に
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戦後70年 ここから変わった(読売新聞)

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大ヒット祈願!この曲で紅白へ!
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戦後70年を迎え、いろいろなマスメディアで戦後の70年を特集しているが、読売新聞に「戦後70年 ここから変わった」と言う特集がある。
8月6日は第4回目で「シンガー・ソングライター」が取り上げられた。その中で、舟木さんご自身のコメントが載っている。

1967年ラジオから流れる曲に驚嘆し、そしてその曲は若者の心を掴み、自主制作レコードから商業レコード化される。そして180万枚の大ヒットとなった。
忘れもしない「オールナイトニッポン」を聴いていた若者の中に、私もいた。
謎めいた曲に、その話題は、あくる日の学内でも凄まじい勢いで広がった。
その曲こそ「帰ってきたヨッパライ」
時代は歌謡曲からグループサウンドへと移行した頃で、更にそれもフォークソングへと移行し始めた頃。高石友也の「受験生ブルース」がラジオから流れ、岡林信康の「山谷ブルース」などの反戦フォークソング。ジョーン・バエズやPPM、ボブ・ディラン、ブラザース・フォーなどの影響を受け、多くのシンガー・ソングライターの和製フォークソングが生まれる。
70年代になると、吉田拓郎が登場し井上陽水が活躍し、荒井由美が活躍してゆく。シンガー・ソングライターと言う枠組みから考えると、加山雄三や荒木一郎などの名前を忘れてはいけない。

「高校三年生」から始まる学園ソングや青春ソングが、高校生や中学生、そして中学を卒業してすぐに働き始めた若者の愛唱歌になって行った流れは、万人の親しみ易さを表した楽曲に対して、シンガー・ソングライターの作る曲は、個々の思いを自由に表現した個性的な作品だった。

舟木さんのコメントにある言葉は、舟木さんご自身のトークの中でも、何度となく聞いた事がある。ある意味危機感を感じながらも、その時代の流れに乗る事の出来ない悲哀を、舟木さん自身感じておられたのだろうと思う。
そうした背景の中、舟木さんご自身の音楽活動が停滞していく。とっ言っても、
そうした時代の中で、舟木さんが作られていったのが、whiteの中にもある、舟木さんご自身で作詞作曲された楽曲群である。
舟木一夫の豊かな音楽性が、whiteのCDの中だけに閉じ込められている事が、とても寂しく思ってしまう。舟木さんご自身の本意は別として、舟木ファンとしては、シンガーソングライターが発祥した時期にでも、楽曲を発表して欲しかったと思うのである。

新曲「春はまた君を彩る」「そばにいるから」の楽曲提供は、フォークソングのシンガーソングライターである南こうせつさんによるもの。
時代を振り返ると、何か特別な関係を感じてしまうし、コンサートで歌われる荒木一郎さんの「空に星があるように」を唄う舟木さんにも何か感じるものがある。
ついでの話として「空に星があるように」の曲聞いた橋幸夫さんが、その歌を自分にください。と言われたそうだが、荒木一郎さんが断られたと言う話もある。

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