(作品の経緯)初め、会社はやる気無かったんです。ぼくも「絶唱」をやろうって気はまったくなかったんです。これはね、舟木一夫が自分からやりたがった。つまり舟木企画なんですよ。この頃、舟木の人気が上がってきて、映画も興行的にはお客が入っていたんですね。そこへ舟木が「絶唱」をやりたいって会社に申し入れたんですね。しかし断られたんです。前にやったけどお客が入らなかったから。(舟木映画の前に小林旭、浅丘ルリ子、滝沢英輔監督製作ヒットしなかった)そこで僕のところに来たんです。「会社へ言って断られたんだけど、先生一緒に行ってくれ」ってわけですよ。だけどあれは問題があるよって言ったんです。兵隊になって出征するところがあるんですが、頭を坊主にしなくちゃいけない。「かつらはいやだしなぁ、髪を伸ばしたままだと悲壮感が出ないし、君は坊主になるわけにはいかんだろう」って舟木くんに言ったんですよ。そしたら「ぼく坊主になります」って言う。えっ、本当かなあ、舟木カットが坊主になるなんてって。製作部長のところに行って、舟木が坊主になるって言ってますよって言ったら「えっ、本当か?」と。断髪式なんてのはいけるなあなんて、やることになったんです。そしたら舟木君が非常に喜んで、スケジュールをみんな自分で調整しちゃってやむを得ないもの以外はみんなはずして、これに全力投球する気になったんですね。大変な意気込みでした。(大ヒットについて)やっぱり舟木の人気がまず一番大きいでしょうね。そのうえ舟木がぼうずになったっていうことが大変なことですからね。断髪式やりましたからね(笑)テレビの取材が何社も来ました。それと、映画のために「絶唱」って歌を作りました。「絶唱」っていうこの歌もヒットしたんですね。これがレコード大賞の有力候補といふうに当時騒がれたんですね。 ~西河克己映画修業より抜粋~輝かしい大ヒットをした映画「絶唱」そして、レコード大賞歌唱賞を受賞し、舟木さんの代表曲でもある「絶唱」多く語られてきた話ではあるが、この映画の監督を務め、数多くの舟木作品を手がけた西河克己監督の言葉で語られている。その後監督は、百恵・友和コンビで再び「絶唱」を撮ることになるが、同名で作られた三作で、舟木一夫「絶唱」に適うものはなかった。西河監督と言うと、舟木映画もたくさん手掛けているが、吉永小百合「伊豆の踊り子」「潮騒」和泉雅子「エデンの海」も手掛け、その後山口百恵でリメイクで撮っている。青春映画には無くてはならない昭和の監督だった。舟木さんのインタビューで語られたが、共演後特別仲が良くなったのが和田浩治。10代半ばで日活ダイヤモンドライン(石原裕次郎・小林旭・赤木圭一郎・和田浩治)で一角を担い、数多くの主演映画が撮られているが、これらの作品をデビュー当時から手掛けたのも西河監督だった。撮影風景は、中々見る事は出来ないし資料としてもあまり残っていない。当時よく撮られ、テレビで流されていた芸能ニュースから、その当時の撮影が見て取れる。カラーで見れるのが、なんとも嬉しい限りだ。
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絶唱 撮影現場より
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