1974年、日本がオイルショックに揺れた。映画から足を洗い、サラリーマンになっていた。当時はダイエーに次ぐ第二位の量販店。まともな会社に勤めろとの親の意見から、叔父に相談して来いと言われ、相談の結果勧められての入社だった。丁度リニュアルした店舗の中途採用があり、それも二次採用に入っていて、面接に行くと百人近くの応募。採用は一人か二人と聞いていて、「まず無理だろう」と思っていたが、運よく就職。
学生時代に同じ会社の別店舗でアルバイトの経験もあり、「あそこだけは行きたくない」と思っていたのだが、運良くか運悪くかは知らないが採用された。
リニュアルオープンした店舗に、すぐにオイルショックの波風が立つ。開店前の行列は凄まじいものだった。6階にある洗剤やトイレットペーパーのある売り場には、物凄い形相の人たちが駆け上がってくる。手当たり次第に洗剤やペーパーを持っていく。選んでいる暇などない。10分もすると、陳列棚が空っぽで、倉庫から追加を持ってきても、陳列する前に段ボールを開けて勝手に持って行ってしまう。前日までのストックは全てなくなり、苦情の対応に追われる。
最初の内はアタックとかニュービーズとか大手メーカーの品物から売れたが、値段の高いシアーズの輸入品までバタバタと売れた。粉石けんが無いとみると、洗濯用の固形石鹸も売れる。馬鹿みたいに売れて、日本全国どこの店にも洗剤がなくなり、ペーパーが姿を消した。
まだ落とし紙や、京花紙なども販売していた時代で、いつもは殆ど売れないのだが、それらまで売れていった。当時あまり話題にはされなかったが、生理用品まで品薄だった。
昼間の納品で、紙や洗剤が入るのだが、翌日の分としてバックヤードにストックするが、あいにくそこは6階だがガラス張りで、目ざとく見つけたお客さんが乗り込んできたことがある。あの手この手で担当者におべっかを使って、何とか手に入れようとする他の売り場のパート社員。彼女たちも主婦だから、同じように欲しくてならないわけだ。
入社してすぐ、この売り場が私の担当の売り場だった。
オイルショックで、ペーパーや洗剤で大混乱。大衆の心理がパニックになると、とんでもない事になるとヒシヒシと感じだ時だった。