心頭滅却すれば火もまた涼し
甲斐の国の恵林寺が、織田信長に焼き討ちされた時に、この言葉を残して、住僧の快川が焼死した事で有名だ。
恵林寺は、大菩薩峠の近くにある寺で、中々行く事が出来ないような場所にある。私が小学校2年の頃、元教師の母と、その教え子たちと一緒に大菩薩峠に登った事がある。中里介山の書いた大菩薩峠では、机龍之介が峠で老巡礼を理由も無く殺す。と言うところから始まる。映画では市川雷蔵、仲代達矢、片岡千恵蔵などが机龍之介を演じており、何故か全て見ている。御岳山の御岳神社の奉納試合の場面があるが、奉納試合は今でも続いていて、武蔵野の代表として、私も試合に出た事がある。
さて今回書こうとしたのは、10数年前まで働いていた頃の話で、10年間ほど各地に出張していた頃の話。それを思い出して書こうと思う。恵林寺もその出張の時に立ち寄った場所だ。
出張は車で出掛ける。今考えると、良くも色々な場所に行ったものだと思う。それも観光などでは絶対に行かないような場所も沢山あった。
北は秋田県の能代で、南は岡山県新見市。新見での思い出は、街に舟木さんのコンサートのポスターがあった事。残念ながらコンサートより前に仕事が終わってしまい、行くことは出来なかった。能代では、どうしても秋田名物ババヘラアイスが食べたくて、八郎潟を走り、半日走って探したが遭遇できなかった。寒風山まで行けばあるとの情報を得たが、流石にそこまでは目指せなかった。
東北での震災のあった場所にも震災前によく行った。福島県の新地、相馬、楢葉、いわき、広野、勿来、小名浜など。相馬に向かう時は双葉町や大熊町を通り、原発の建物を見ながら走ったものだった。
いわき周辺での仕事の時の定宿は、塩屋岬灯台の近く、薄磯海岸沿いにある民宿で、おばちゃんとも仲良くしていたが、海岸に近かったから、無事かどうか。夏に家族で行った事もあり、いつも良くして貰ったから、ご無事であればもう一度会いたいと思っている。福島と言うと、奥只見にも行った。紅葉の頃で、朝になったら雪が降っていて、紅葉と雪の素敵な風景を見たものだった。福島では、会津、中通り、浜通りと区別するのを始めて知った。
新潟も結構行った。新潟市内もあったが、見付、五泉、小千谷など。休みを利用して寺泊まで魚料理の昼食を食べに行った思い出もある。
富山は高岡で、何度か行ったが、まだ北陸道が対面車線の頃で、トンネルが20以上あり、怖い思いで運転したものだった。中部地震があった時、丁度仕事を終えて駅前の焼き鳥屋で飲んでいたのだが、目の前のカウンターがグラッと近づき、地震かと思ったが、沢山のお客さんも何も反応が無く、飲み過ぎたのかと思ったが、ホテルに帰ってニュースで地震の事を知った。翌日東京に帰るのだが、大坂からの報道車が何台も現地に向かっていて、新潟を抜けるまでは不安な運転をしたものだった。思ったほど揺れなかったのは、ホッサマグマが中間に有ったからだろうと、勝手に創造している。
静岡県の水窪と言う奥地のほうにも行った。ここも出張でなければ絶対に行かないような場所で、何も無いところだった。普通は浜松に出て東名高速で帰るのだが、山越えすれば長野の飯田に出られる事を知り挑戦。山頂は国取り物語の綱引きが行われる所だという。そこからは下りなのだが、まだ雪が残っていて急斜面でスリップしながら何とか降りてきた。途中通行止めがあったりで、大変な思い出がある。
長野県もいろいろ行った。松本では浅間温泉、松商学園、波田、乗鞍、塩尻。乗鞍は運転免許を取って直ぐで、ノーマル車を運転して一人で行った。
取ったばかりで、ギアチェンジは出来るが、シフトダウンをした事なく、トップのまま坂道から国道に入り立ち往生。事故が無くてよかったと今でも思う。無謀な出張だった。奈良井宿の仕事は楽しかった。昔からある宿屋は雰囲気が良く、帰りたくないと思ったものだ。
書いているときりがないが、日光、軽井沢、京都、愛知、静岡、千葉、神戸、三重、茨城、群馬、栃木、山梨、埼玉、神奈川。年間4万キロぐらい走っていたが、運転がメインの仕事ではなく、あくまでも現地に行くためのもの。良い思い出である。