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Channel: 武蔵野舟木組2019 舟木一夫と共に
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さすらい昔を語る 3

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テレビが我が家に来たのはいつかは、良く覚えていない。現在の天皇皇后の結婚式は、祖父の家で見た。大相撲も、敷地内のご隠居さんの住む家で見せて貰った。テレビのある家に、お金を払って見に行った記憶もあるし、駅前にあった街頭テレビも見た記憶がある。ケネディー大統領の暗殺の衛星中継は、家で見ていたから、東京オリンピック前には家にテレビがあったのだろう。

月光仮面は家で見た記憶は無いが、まぼろし探偵、少年ジェットは家で見ていた。変幻三日月丸と言うのが好きだったが、ネット検索しても余り出てこない。隠密剣士、白馬童子も好きだった。大瀬康一、山城新伍は私のヒーローだった。野球も楽しかったし、プロレスも好きだった。力道山、豊登、遠藤、吉村、ユセフ・トルコ・・・

テレビがない時代はラジオだった。真空管を使ったラジオで、イヤホーンなど使えなかったし、トランジスタラジオなど無い家だったから、ゲルマニュームラジオを作った。感度は悪いが、電池も要らないラジオだから、アンテナにしている細いコードを水道管に繋いで聞いていた。かすかに聞こえるラジオの音は、世界を広げてくれた。夜中になると、聞きなれない言語の放送が聞こえる。モールス信号のような音も聞こえていた。何が何だか判らなくても、それを聞くだけで嬉しくて、長い時間聞きながら、そのまま寝てしまうのが日課だった。

映画を見始めたのは中学から高校に上がる頃で、一気に興味を抱いた。地元にも小さな町だが2軒の映画館があった。二駅離れればそこは吉祥寺で、映画館が10ほどあったが、電車賃や封切などで料金が高いため、もっぱら地元の映画館。

その昔、神田に勤め先の会った父に所に行くと、10円ニュース映画館というのがあって、ニュース映画だけ上演するのだが、たまに本編の映画も上映されていた。確か鶴田浩二の戦争映画を見た記憶がある。生れて初めて見た映画は、母と行ったバンビ。
小学校でも上映会があって、校庭に幕を張ってそこに投影した映画も見た。米と言う映画で、子供向きではなく、良く覚えていないが、最近見る機会があったのだが、やはり大人の映画だった。荷車の歌も校庭で見た。
小学校に視聴覚教室が出来見たのが、風の又三郎と子供が電車でお金を盗まれて、子供たちが犯人を追い詰めるという映画。題名は忘れたが、どちらも好きな映画だった。黄色いカラスや、ノンちゃん雲に乗るなんて映画も思い出す。

学校から映画館に見に行ったのは、日本誕生と日本初の動画映画白蛇伝。その身に言った映画館は、早くに閉館してしまったので、地元でも覚えている人は殆どいない。父に連れれて行った人間の条件は、良く判らなかったが悲し過ぎて、父とは行きたいと思わなくなった。父と最後に見た映画は、地元の公会堂で行われた役所主催の映画「判落ち」で、見た後、父は何も言わなかった。

高校に入り、何しろ映画が好きで地元の映画館に入り浸り。今でもその時貰ったわら半紙に印刷されたプログラムは、全てとってある。
年間400本の映画を見た時代は、今から50年以上前の話で、今は年に1本見れば良い方で、殆どテレビでの古い映画の鑑賞ばかりである。

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