我が家は厳格な家だった。
父はサラリーマンながら剣道家で、母は小学校の教師。大正生まれの両親は、それこそ今では考えられないような堅物のだった。父は旧制中学を出て直ぐに兵隊へ。秋田の農家の息子で末子。お国の為に死ぬ覚悟で兵隊になり、満州に渡りそこで負傷して片目を失った。一時は両眼が見えず、アンマになる事を覚悟したと言う。負傷したのは若干21歳の頃。日本に戻り東京小平の陸軍経理学校にいた。
東京空襲で、打ち落とした米兵を、それこそ叩き殺そうと思ったとも言っていた。
父と一緒に寝ると子守唄を歌ってくれるが、それが軍歌。♪ここは御国の何百里・・
｢戦友｣と言う歌で♪時計ばかりがコトコトと 動いているのは情けなや・・・
悲しくて涙が出た。
母は今では東大合格率の高い桜陰の出身で、その後高等師範に行き教員になった。
当時は代替教員が多い頃で、「私はちゃんと学校を出ている｣と言うプライドを持っていたが、実は厳格な祖父の影響で、小説も自由に読めず、漫画は教員になってからも、全く読んだことの無い、不思議な学校の先生だった。
父はサラリーマン、母は教師で、共働きのはしりの時代。我が家にはその為お手伝いの女性がいた。秋田から花嫁修業を兼ねての同居だったと、後で知る。
中学になってもお手伝いさんはいたが、それは裕福だからではなく、お手伝いさんを置いても、母が勤めた方がゆとりが出来たからである。
父は結婚と同時に、子供の頃からやっていた剣道を始める。戦後剣道が許されるようになっての事だった。当時は３段で、警察署の道場に通っていた。剣道が復活してすぐの事で、大変な時代だったと聞く。父が五段を取った頃から、私にも稽古をするように勧められ、否が応でも道場に通わされた。警察署の道場は、子供たちが溢れていた。行きたくなくとも、仕事を終えた父が来るので休むことが出来ない。嫌々ながら通った思い出がある。
母方の祖父は、宝生流の謡曲をたしなみ、俳句の世界でも活躍していた。そんな環境だから、祖父に直に謡曲を習ったり、何かあると句会に連れて行かれた。
母は謡曲を晩年まで続けていたし、父もまた、母にならう様に謡曲を習った。父は、祖父の影響で俳句も熱心だったが、剣道を鍛錬するうちに、剣道に重きを置くようになった。
剣道と共に父が鍛錬し始めたのが居合道。剣道には刀の手の内が必要と、まだ居合道が余り知られていない頃から初め、私も手解きを受けるようになる。水道橋にあった相撲部屋の木瀬部屋の親方が居合道の先生。戦前の剣豪中山博道の愛弟子だった壇崎質郎先生。桂川の名前で、双葉山時代前頭筆頭まで行った力士でもある。
私も中学になり、本格的に居合道を始めた。剣道よりも居合道にのめり込んだ頃だ。
父は剣道七段になり、居合道は五段くらいだった。私も中学三年で三段に昇段。
居合道の審査でも剣道の審査でも、なぜか三島由起夫と一緒になった。
母は理科が大好きだった。晩年まで植物が好きで、山野草を求めて山登りもしていた。写真が趣味で、亡くなった後には、沢山の植物の写真がある。殆どをスライドにしているので、今では中々手にとって見る事が出来ない。植物に関する書籍も、今でも山の様に残っている。父の親戚に佐藤順平と言う植物博士がいて、残念ながら満州から引き上げる時に資料が全て無くなったが、牧野富太郎博士よりも優れた資料を持っていたと聞く。そうした書籍も今でも我が家にある。
母が地元の小学校しか転校せず、教頭も校長も目指さなかったのは、私のせいらしい。お手伝いさんの居ない頃は、まだ鍵っ子の名前がなかった頃からの鍵っ子だった。昔の真鍮で出来たカギに紐を付けて、首から提げていた。学校での会議などがあると、その頃はお金を預けられて蕎麦屋に一人で行っていた。私の事を思い、昇級を諦めていたらしい。
父は２３年掛かって剣道七段から八段へ。それより前に居合道は八段に昇進。その後どちらも栄誉となる範士に昇格。全国に数人しか居ない両方八段範士の称号を得た。
ニューカレドニア、フランス、メキシコなど、各国に出掛け、剣道と居合道の普及に努めた。我が家の道場にも各国の剣士たちが寝泊りした時代もある。
隻眼の剣士だった父の事は殆どの人が知らない。残念ながら私は大学時代に剣道も居合道もやめてしまい、父の意思を次ぐ事が出来なかった。
写真は、京都武徳殿でのもの。今でも五月になると、全国の剣士がここに集う。来年は二度目の東京オリンピック。1964年の東京オリンピックで、父は武道館で居合道の演舞を行った。それは父の少なからず勲章だったような気がする。