丸に横木瓜 三船さんの家紋だ。
たかだか2年しかいなかった三船プロだが、さすらいの人生を大きく変えた場所でもある。大学から専門学校に行き、授業よりアルバイトに精を出していた。映画のエキストラ、フジテレビ、TBSでの小道具のアルバイト。幾らのお金にもならなかったが、好きな現場だった。専門学校は授業日数が足りなかったが、何とか誤魔化して卒業。アナウンスの授業は、当時♯さん♭さんというNHKの番組の尾島アナウンサーだった。
エキストラの所属事務所へ登録に友人たちと出掛けた。私だけ直ぐに仕事が来た。背広を持っているかと聞かれ、持っていると言うと、明日東映撮影所に行くように言われ、その時初めて映画の撮影所に入った。番組は「柔道一直線」職員室の場面で、机に座っているだけの先生の役。キャメラが移動のレールに乗って撮影、数秒間だけ写っていた。隣のスタジオでは「プレイガール」が撮られていて、スタジオ前で椅子に座っている沢たまきさんを見た。
その後、梅宮辰夫さん主演の「夜の帝王シリーズ」の撮影で銀座へ。通行人だった。
日活撮影所に入ったのは「ハレンチ学園」での生徒役。ロケバスで出掛けたのが現在のジブリの森のある日産厚生園。中学生の役だから、着させられて制服はツンツルテン。「柔道一直線」でも生徒役があって、その時もツンツルテン。
大好きな加山雄三の若大将シリーズにも行った。大学のスカイダイビング部の部員で、調布飛行場での降下訓練、ディスコパーティー、成城にあったレストランでのシーンなど何日も出掛けた。
学生時代といえば、フジテレビの「万国ビックリショー」の公開放送の参加者を募るビラも配って歩いた事がある。フジテレビのあった河田町近くの四谷三丁目の商店街。自分でも放送を見に行って、その時の撮影が、長い事オープニングに使われていて、毎回見に行った私と友人が映っていたものだった。
フジテレビで小道具の仕事をしたのは、その後の事で、「夜のヒットスタジオ」や「ラブラブショー」の他ドラマなどのセッティングをした。TBSに移って「笑って頂きます」と言う番組で、堺正章、水前寺清子、悠木千帆、五十嵐じゅん、和田アキ子、十勝花子などと遭遇する。
何とか卒業できた専門学校だったが仕事が無い。先輩に連れて行かれたのが三船プロ。三船さんは「レッドサン」の撮影でスペインにいて、支配人と面接。そう簡単には入れてくれなかったが、監督助手と言う事で、何とか引き受けてくれる。三船プロがダメであれば、その足で石原プロに行く予定だった。
専門学校に行ったと言っても撮影所の仕事は始めて。スタッフ50人ほどの中に放り込まれた訳だから右往左往するというか、右往左往も出来なく固まってしまう。
三船プロが運命を掛けたTVドラマ大作「大忠臣蔵」超一流の俳優さんばかりだし、ペイペイだからこき使われるし、色々なものを腰に下げて走り回る。タバコ好きな監督の灰皿係でもあった。缶入りのピースの空缶に工夫して針金を付け、それを腰に刺していた。しばらくしてカチンコを叩かせて貰うようになった。
優しい大道具さんが、私専用のカチンコを2本作ってくれて、1本は今でも大事に持っている。
「大忠臣蔵」の撮影が終了して、三船プロは10周年を迎えた。ホテルでのパーティに出るのだが、気の利いた上着を持って無く、丸井で初めてクレジットで上着を買った。何処のホテルかは覚えていないが、スタッフが四十七士の扮装で登場。大石内蔵助は大道具の親方で、私は名前も良く知らない中村勘助の扮装だった。
その後撮影が始まったのが「荒野の素浪人」椿三十郎より三倍強い峠九十郎に三船さん。ピストルの名人鮎香之介が大出俊さん、すっぽんの次郎吉が坂上二郎さん。
坂上さんには2人のお付がいて、その一人は専門学校時代に友人たちとたむろしていた喫茶店のマスターだったのにはビックリしたものだった。
三船プロは、本格的な時代劇のセットがあった事から、他の制作会社の撮影も行われ、そうした撮影にも応援に行った。中村錦之助さんの「長谷川伸シリーズ」「さすらいの狼」などだ。憧れの錦ちゃんとの撮影は楽しかった。
「荒野の素浪人」と一緒に撮られていたのが「おんな組アクション控」大好きだった中野良子ちゃんが主演で、島かおり、津山登志子の女三人組が活躍する時代劇。スタッフもガラリと変わって、緊迫感の少ない楽しい現場だった。打ち上げの時に、ファイティング原田さんが登場して、ビックリするやら嬉しいやら。
三船での最後の作品は、原田芳雄さん主演で共演が中野良子ちゃんの「真夜中の警視」と言う現代劇。初めての現代劇で、協賛を得るために色々な会社にもお願いに行った。ある商社にいった時、高校時代の同級生に出くわした。原田さんの付けるラドーの時計を提供して貰った。有線放送の会社が舞台なので、沢山のレコードを有線放送の会社から提供してもらった。殆どが都内でのロケで、道玄坂での撮影の時、加賀まりこさんがシースルーのシャツ一枚で現れた時は、目を疑ったがしっかり見ていた。(笑)そういえば、太地喜和子さんのベットシーンでのポロリも忘れられない。
残念ながら、ある事故があり、放送は6回で終了。それを期に私も三船を去ることにした。短い期間だったが、私の人生の中で、一番濃い時期だったと今でも思う。
その中でも一番の思い出は、三船社長に声を掛けられて、三船社長ご自身が運転するロールスロイスで、スタジオから成城駅まで送ってもらった事だろう。