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Channel: 武蔵野舟木組2019 舟木一夫と共に
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昭和38年11月9日 広告

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舟木さんがデビューして半年。初映画となる「高校三年生」が封切になります。
断トツの売り上げを示していた「高校三年生」のレコードの人気に乗って、若手スターだけの映画で活路を見出したい大映は、いち早く舟木さんの人気に目をつけました。
その後舟木さんをメインの映画を創ろうなどと言う考えは、まだまだ持っていなかったでしょう。しかしながら、ロケ地を舟木さんの出身地一宮を選んだ事は、更に舟木さんの人気を後押しした事、そして今でも語り継がれるようなロケ地になった事は、非常にラッキーだったと感じられます。

金曜日の夕刊を見るのが楽しみでした。翌日から始まる封切やロードショーの広告が必ず乗っているからです。見に行く見に行かないに係らず、どの映画館でどんな映画をやっているか、知るのが楽しみでした。街には地元の映画館のポスターが貼られ、それを見るだけでワクワクして、また、映画を見なくとも映画館の前まで行って、スチール写真を眺めるだけでも嬉しかった思い出があります。
残念ながら、地元の三番館では大映の上映が少なく、この映画もリアルタイムでは見ていません。映画少年でしたが、潤沢な小遣いがある訳ではないので、封切館で映画を見る事は、殆どありませんでした。地元の三番館は学生140円で3本見れました。封切館は2本立てで250円。ましてや封切館に行くには、電車に乗らなければ見れませんでした。幾らの小遣いかは忘れましたが月に1000円貰っていたかどうか。
お腹が空くので、自分でおにぎりを作ったり、家にあるお菓子を持って出たり、水筒を持ったり、いろいろ苦労したものです。これから数年後に高校生になると、ラジオやテレビで試写会の募集がある時は良く出して見に行きました。まぁ全部洋画でしたが、東商ホールとかヤマハホールとか、わざわざ出掛けたものです。
年間200本から300本映画を見る時代が、その後来ます。(笑)
高田美和さん、二本立ての両方に出てたんですね。土曜日の広告で、次週の封切案内ですから、大映も力を入れていたのでしょう。

さて、新聞のラテ欄(ラジオ、テレビ欄)舟木さんの名前が断然増えています。
10月から始まった「夢の青春コンビショー」の名前を見れます。当時積極的に歌番組を見た記憶はありません。「あゝ青春の胸の血は」や「君たちがいて僕がいた」が出始めて、歌詞を覚えたくて、必死にラジオを聴いた時代でした。必死にノートに書いて、又次に流れた時に書き写す。その繰り返しで歌詞を書き終えた時にの嬉しさは忘れられません。そうして覚えた歌詞ですから、今でも意外と3番まで覚えているようです。

積極的見ていたテレビが載っていました。
夜6時55分からのNETテレビ(現テレビ朝日)「スポニチ芸能ニュース」です。5分間に2つのニュースが流れます。これは楽しみでした。
「スター千一夜」も好きな番組でした。特に小百合ちゃんが出る時などはワクワクして見たものです。さすらいは、昔からミーハーでした。(笑)

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