祖父、祖母、父、母、おじ、おばが並んで、鶴亀を謡うのが正月二日の母の実家での恒例。大勢の地謡の中、小学生の私。「それ青陽の 春になれば・・・」
宝生流を子供の頃から学んだ祖父は、ここから俳号を青陽人とした。貿易会社にいた事もあり西洋と青陽を掛けたとも聞く。
声変わりもしていない甲高い声で「いかに奏聞申し候。毎年の嘉例のごとく・・・」は私一人の持ち分担。...
祖父が亡くなった後も数年続いたが、謡う人は皆居なくなった。我が家での謡いの声も、既に20年聞かれない。
宝生流を子供の頃から学んだ祖父は、ここから俳号を青陽人とした。貿易会社にいた事もあり西洋と青陽を掛けたとも聞く。
声変わりもしていない甲高い声で「いかに奏聞申し候。毎年の嘉例のごとく・・・」は私一人の持ち分担。...
祖父が亡くなった後も数年続いたが、謡う人は皆居なくなった。我が家での謡いの声も、既に20年聞かれない。