句集「天の川」より
佐野青陽人は、私の母方の祖父。
渡辺水巴に支持して、水巴主幹の俳句雑誌「曲水」に長く深く係った。出身は富山県高岡市で、大正になり武蔵野の地に移り住む。そこで母が生まれた。
高岡時代から加賀宝生を学び、東京に移り住んでも俳句同様に能楽を生涯深く学んだ。従兄弟が佐野青陽人の論文を書くという事で、資料探しの手伝いを始めたのが、つい数ヶ月前の事。亡くなったのが昭和38年、従兄弟は生まれておらず、唯一青陽人一緒に住み深く係った孫が私。
ここ数ヶ月で今まで知らなかった祖父が見えてきた。明治生まれながら貿易会社に勤務している事から英語も堪能だったようだ。子沢山でありながら、給料の半分は能楽や俳句を学ぶ事につぎ込んだばかりでなく、歌舞伎なども頻繁に見ている。祖母は、そうした自由人の祖父を支えていたが、金銭面では苦しかったのだろうと想像できる。その祖母は、104歳でこの世を全うしたが、その10年前、ダイアナ妃が来日の折には、代表して花束を渡している。
母の戸籍謄本が必要になり、祖父の戸籍を見る事になったが、養子に出て佐野家を継いだ。渡辺水巴からの流れで、高名な俳人高浜虚子との接点もある。
虚子は能楽をこよなく愛し、能楽遊歩と言う著書もある。虚子が行う謡曲の会にも参加している事もわかる。
水巴亡き後は、大谷碧雲居と青陽人が「曲水」を支えるのだが、碧雲居は東京美術大学の出身で、同級生には藤田嗣治、岡本一平(岡本太郎の父)近藤浩一路(曲水の表紙を描いている。芥川龍之介の友人で、吉川英治、山本有三との交流もある)池部鈞(妻は岡本一平の妹で、その子供が俳優池部良)がいる。
祖父は水道橋能楽堂で、「鉢木」の佐野源左衛門と「安宅」の弁慶を演じているのだが、共演は当時の人間国宝、松本謙三と藤田大五郎だった。
母は長女として、祖父から宝生流の謡の手ほどきを子供の頃から受けており、全ての謡を手に入れていた。私もじきじきに祖父から手ほどきを受けたが、鶴亀だけに終わってしまった。父も祖父の影響を受け俳句をたしなみ謡曲も、祖父亡き後、我が家に先生を呼び稽古を受けていた。
従兄弟の論文の完成は、再来年になるというが、これから私自身も祖父の生涯を追ってみようと思っている。
祖父からは謡と俳句。父からは剣道と居合道。身近に大先生が居ながら、それに気付かず全てに中途半端だったことを、深く反省する日々である。
つながりをこじつけるのは難しいのだが、加賀宝生の金沢での話。
舟友さんに連れて行ってもらった金沢の竹下夢路記念館で見つけた画が、舟木さんに良く似ていると気が付いたこと。笑