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週刊平凡 資料
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マーガレット 資料
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近代映画 資料
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近代映画 資料2
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近代映画の舟木さん表紙の追加です。
岡山の友人マト先輩から、追加資料が届きました。別冊で、これだけの雑誌が発売されるのは異例の事でしょう。いろいろ資料を集めているマト先輩によりますと、それまでは石原裕次郎さんのものが多かったようですが、舟木さんはそれを超える近代映画の表紙を飾られているようです。数年間で、これだけでたという事は、それだけ舟木さんに関した雑誌を出せば売れたという事ですから、改めて舟木さんの人気が凄かった事をうかがわせる貴重な資料となりました。
実際の雑誌をすべて持っている訳ではありません。しかしながら50年前の資料を集めるとなると大変な苦労があります。マト先輩には感謝です。
さて昨日は、ブログの更新で、いろいろ書き込みをしたのですが、久しぶりにエラーが出て、すべて書き込んだことが消えてしまいました。昔は良くこのような事が良くあったのですが、久しぶりのエラーに、ガックリ気落ちしてしまいました。
一度書くと、書き直しと言うのが中々熱も冷めて書けないものです。タイムリーに書いた文章だったので、大変残念です。気持ちが落ち着いたら、また掛けるかも知れませんね。
そして昨日は父の命日でした。12年前のその日の事を思い出します。
5月に京都の剣道の大会に行っていた父が帰京し、具合が悪い事で入院。手術は上手く行きましたが、一週間後に問題が発生し再び手術。その後、以前膝に人工関節を入れた場所から菌が入り危篤に。それから9月まで一進一退の入院生活。
私は9月に入り腎臓結石と尿路結石で激痛の中、手術日を迎え入院。1時間後に手術と言う段になって、入院中の父の死亡連絡。急遽手術を中止して、痛みをこらえながら喪主を務めました。その後私の手術。この数週間の出来事は、夢の中の事のようでした。そんな事を思い出した昨日です。
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映画「太陽に突っ走れ」
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舟木さんの出演映画で、今まで見ていなかった作品が放送された。
「太陽に突っ走れ」の原作は、舟木さんの恩師である遠藤実先生で、遠藤先生の自叙伝風に作られた作品です。舟木さんはじめ、遠藤先生のお弟子さん達、先生が作られたミノルフォンレコードの歌手の方たちも出演されています。
主役を演じるのは千葉真一さん。共演者も豪華多彩です。
十朱幸代さん、長門裕之さん、今井健二さん、東野英治郎さん、大原麗子さん、菅原謙二さん、柳生博さんなど
歌手では、舟木さんをはじめ島倉千代子さん、こまどり姉妹さん、梶光夫さん、北原謙二さん、一節太郎さん、扇ひろ子さんなど
遠藤実先生も冒頭のシーンで出演されています。そしてオープニングから舟木さんの「高校三年生」が流れ、舟木さんが登場されています。
CS放送チャンネルNECOで、9月30日6:00~と10月31日7:50~再び放送されますので、是非ご覧ください。
舟木さんの「高校三年生」は映画の中で2回流れます。そして後半では「花咲く乙女たち」を歌う舟木さんのシーンも出てきます。
梶光夫さんの「青春の城下町」も懐かしく聴きました。
ポスターはカラーですが、実際はモノクロだったのは、少し残念でした。
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九州からの情報
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月刊明星 資料
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表紙 資料
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舟木さん退院ニュース
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舟木一夫が予定通り退院 医師も「順調に回復」
[2017年9月29日12時22分]
過労による急性前立腺炎のため、都内の病院に入院していた歌手舟木一夫(72)が29日、予定通りに退院した。医師は「順調に回復しています」と話しているという。
今年、芸能55周年を迎えた船木は全国55カ所を回る公演を実施中だった。ところが今月18日に高熱と関節炎を発症。翌19日に10日間の入院と2週間の自宅療養が必要と診断され、都内の病院に入院した。
26日の大分、27日の福岡、そして今日29日の鹿児島公演は延期。入院を発表した際には「年を忘れ、55周年ではしゃぎすぎてしまったのが原因。来月から今以上に元気になって復帰します」と宣言をしていた。
予定通り10月16日の島根公演で復帰する予定だ。
舟木一夫 急性前立腺炎から無事退院…「72歳の年齢を忘れはしゃぎ過ぎた」
過労による急性前立腺炎を発症し都内の病院に入院していた歌手・舟木一夫(72)が29日、無事退院した。所属レコード会社の関係者によると、当面は自宅療養を続け、10月16日の島根県民会館の公演から復帰するという。
舟木は、今月16、17日に大阪・松竹座でコンサートを計4公演行い18日に帰京した。だが、夜になり38度を超える高熱と関節炎を発症。翌19日に都内の病院で検査を受けたところ「過労による急性前立腺炎」で10日間の入院と2週間の自宅療養を診断され、即日入院していた。
今年は55周年の記念イヤーで、全国55カ所を回るツアーや大阪・新歌舞伎座1カ月公演など精力的に活動していた。入院した際に舟木は「72歳の年齢を忘れ、55周年ではしゃぎ過ぎてしまったのが原因だと思います。少し休んで、来月からは今以上に元気になって復帰いたします」とコメントしていた。
また、入院に伴い延期となった今月26日の大分、27日の福岡、29日の鹿児島の代替公演は、現在日程など調整中という。
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10月4日は「みんなで満月を見上げよう」
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9月30日になりました。残すところ3か月、1年が早過ぎて嫌になります。
さて10月4日は中秋の名月。毎年行っている「満月を見上げよう」の開催です。毎年満月の日に行っていますが、今年は中秋の名月の日にしました。
さて10月4日は中秋の名月。毎年行っている「満月を見上げよう」の開催です。毎年満月の日に行っていますが、今年は中秋の名月の日にしました。
ちなみに満月は10月6日。
同じ日の同じ時間に満月を見上げて、遠くの友人や知り合いの事を思ってみようという企画です。同じ時間に見上げる事で、お互いが近づける時間にするのです。
過去には毎回300人以上の方が参加して、全国各地の満月の写真を送って戴きました。今年で12年目になる、さすらいの企画です。今年は、初年度から参加してくれている友人と、東京の高層階で一緒に眺める事にしています。勿論その後は飲み会(笑)と言っても一緒に行動するのは女性ばかり。嬉しい企画です。(笑)新宿にある東郷美術館で東郷青児展を見てからお月様を見上げます。
開催期日 10月4日 19:00~20:00
同じ時間にお月様を見上げてください。そして出来れば、そこで見月の写真を投稿してください。
みんなで、舟木さんの事を思い浮かべながら、各地の舟友さんの事を思い出してみてください。
同じ時間にお月様を見上げてください。そして出来れば、そこで見月の写真を投稿してください。
みんなで、舟木さんの事を思い浮かべながら、各地の舟友さんの事を思い出してみてください。
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特集「舟木一夫」と言う青春
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「コ・モ・レババ? ¿Como le va?」は英語でいう「How are you?」と同じに使われるスペイン語だそうです。東京の小田急線沿線、東武線沿線の主要駅に置かれているほか、小田急百貨店や小田急系列のお店やホテルに置かれているフリーペーパーで、古い資料ですが10万部が無料で配布されています。現在はそれより発行部数は増えているかもしれません。
季刊誌で年4回発行されており、今回のVol.33で、舟木さんを取り上げての特集が組まれています。地方の方への発送も、申込み400円で行われています。
後半は、本誌に載っているそうですから、取り寄せてごらんください。
舟木さんの55周年記念での舟木さんの露出が多くなっています。今回の病気入院で、いろいろ心配しましたが、露出が増えでお元気な様子が伺えるのは嬉しい話です。
10月に入り、スポーツニッポン新聞で本日から1か月間の連載がスタートしました。
連載企画なので、リアルタイムでの当ブログでの公開は、営業妨害にもなりかねませんので、日をずらしながら掲載していくつもりですので、ご了承ください。
早く読みたい方はスポニチを買って下さい。(笑)
さて今日は我が地元武蔵野市の市長選挙の投票日です。
国政が混乱していて、市長選などあまり気にならないかも知れませんが、実はいろいろな事があり、市長選、市議選にも、さすらいは非常に関心が高いのです。
今の状態では都政も揺らぎそうなとんでもない事になっています。あまり政治の事は書きたくありませんが、1年以上何も結論を出せなかった知事、寄せ集めの政治経験のない都議、都議選で落ちてやむなく市長選に出る元都議。
市民であり都民であり国民であるさすらいは、毎日憤り日々を送っています。
それではスポニチを買ってから投票に行ってきます。
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我が道 Vol.1 生涯青春いつまでもラブソングを
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スポーツニッポン「我が道」連載がスタートしました。
ブログ掲載は、もう少し時間差を置くつもりでしたが、舟木さん自らの病気入院、そして退院、復帰に向けての力強い宣言がありますので、皆さんにお知らせする事もあり掲載しました。
以前の経験からすると、舟木さんに関する新聞での掲載が始まると、新聞社への反響が確実にあるようです。そうすると、その新聞での舟木さんの関連記事が多くなります。新聞を皆さんが買う事で、舟木さんの応援につながる事となりますので、是非とも新聞の購入も宜しくお願い致します。
とは言うものの、これから一か月新聞を買い続けるのが少々辛いですね。(笑)
自宅宅配は、スポーツニッポンの場合は、毎日新聞が行っています。毎日新聞は取っていませんから、自宅宅配が出来ません。毎日、駅やコンビニで買う事になます。
これが結構大変なので、中には売切れる事もあるので、私は仕事場近くのコンビニで
この一か月取り置きをして貰う事にします。
直接新聞社に購読の申し込みもできるのですが、3か月が最短なので、それも出来ません。更に一冊の本を買うより高い金額になりますね。(笑)
まぁしかし、舟木さんの生の声が聞こえてくるわけですから、楽しみな一か月になると思います。
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我が道 Vol.2 人生を変えた一本のハーモニカ
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明日「みんなで満月を見上げよう」開催
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明日は、さすらいのブログではお馴染みの「みんなで満月を見上げよう」の開催です。特別な事はありません。明日の中秋の名月を、同じ時間に見上げるだけです。
特別の意味がある訳ではありません。ブログを始めた10数年前、ブログだけで繋がった友達がたくさんできました。いつもお会いする方もいますし、会った事のない方も沢山いました。ネットの書き込みだけで繋がっているより、なにか一緒に出来ないかと思いついたのが「みんなで満月を見上げよう」でした。
最初の参加者は数十人でしたが、いろいろみなさんが拡散してくださることから、年々広がりを見せ数百人規模になりました。近年は天候が良くない事もありジリ貧になっていますが、それでも続けることに意義があると感じ、今回も実施します。
今までも全国各地から、同じお月様の写真を送って頂いています。海外からの写真もあったりで、とても広がりを持った企画です。
同じ時間にお月様を見上げて、同じように舟友さんが見上げていると思うと、少し不思議な気持ちになります。是非明日は、同じ時間に少しの時間で構いませんから、お月様を見上げてみてください。
開催日 2017年10月4日(水曜日) 午後7:00~8:00
明日さすらいは新宿にある「東郷青児記念 損保ジャパン日本興亜美術館」のある42階からお月様を友人たちと眺めます。
現在東郷青児展を開催しており、明日は閉館時間が中秋の名月という事で、午後8時までなのです。先日の「美の巨人たち」は東郷青児が特集でした。
うつむく少女「望郷」を見るのも楽しみにしています。この美術館はゴッホの「ひまわり」も常設展示しています。
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我が道 Vol.3 弟のため・・・僕が歌で稼ぐ!!
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情報です
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お月見
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大忠臣蔵 再放送
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今日は新聞のスキャンも出来なかったので、少し違う話題です。
今から40数年前に放送になった「大忠臣蔵」が再び放送されます。実はこの作品は思い出深いというか、私の人生を変えた作品と言っても過言ではありません。
この作品は正月から始まり年末までの52週にわたって放送されました。主役の大石内蔵助には三船敏郎さんで、この作品に参加した俳優さんは、昭和を代表する方々ばかりです。主だった方々を挙げても書ききれないほどになります。
1年間の放送ですから、だいたい1週間に2本のペースで撮影が行われました。討ち入りは冬の雪のシーンですが、一番暑い夏に撮影が行われました。さすらいは、丁度中盤頃から、助監督のペイペイでスタッフとして付いたのです。ですから思い出もたくさんありますし、思いれが多かった作品ともいえます。
今回の再放送は、10月に入りすでに始まっていおり、今日気が付いた次第です。
BS12で火曜から金曜の19:00からの放送です。
ご覧になれる方は見て頂くと、12月の新橋演舞場の公演も、より面白いものになるのではないでしょうか。
三船さんをはじめ、勝新太郎さん、中村錦之介さん、東千代の助さん、大友柳太郎さん、先代の松本幸四郎さん、辰巳柳太郎さん、島田正吾さん、市川中車さん、丹波哲郎さんなどなど挙げればきりが有りません。昭和の良きTV大型時代劇のオールスターキャスト出演のドラマです。
渡哲也さんの吹き替えや、長屋の住人役で、「お前出ろ!」といわれてやった事もありました。奇しくも昨夜のお月見を終えた後に、友人たちと向かったのが居酒屋「三船」でした。本当に偶然の事です。
三船敏郎さんの写真や、出演作品が表示され、お皿なども「三船」や三船さんご自身の家紋である「丸に横木瓜」がデザインされています。この家紋は三船プロのロゴでもありました。
そんな訳で、今日は少し舟木さんとは関係ない事を書きました。
朝出がけに、なんとなくスキャナーが直ったようでしたが、時間がなく確認できていません。本日は泊まり勤務でアップは出来ませんが、明日から再び「我が道」は掲載できると思います。お急ぎの方は是非新聞をお買いください。(笑)
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週刊朝日 2015年12月18日号抜粋
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「週刊明星」編集部に怒鳴りこんだ舟木一夫さんが逆に恐縮したワケとは
作家・林真理子さんとの対談で、「週刊明星」編集部に怒鳴りこみにいったことがあると明かした舟木一夫さん。その理由とは。
* * *
林:そもそも舟木さんは、松島アキラさんの「湖愁」を一緒に歌ったのがきっかけでデビューされたんですよね。
舟木:名古屋のジャズ喫茶に松島アキラさんが来るというんで、友達と一緒に行ったんです。司会の人が「どなたか一緒に歌う人いませんか」と言ったとき、友達が僕の手をパッとつかんで挙げたんです。「はい、そこの君」って引っ張り上げられて、松島さんが1コーラス目を歌って、僕が2コーラス目を歌って、3コーラス目を2人で歌って……。
林:すごくうまかったんですね。
舟木:どうなんですかね。そのとき「週刊明星」の記者に呼び止められて、住所と電話番号を書いて渡したんです。2、3カ月後、学校から帰ったら親父が、「東京の堀さんという人から、テープをつくって送ってほしいと電話があったぞ」って。
林:その「週刊明星」の記者が、堀(威夫。現・ホリプロのファウンダー最高顧問)さんに「うまい子がいた」という話をしたんですね。
舟木:それでデモテープをつくって送ったら、3カ月ぐらいして、また堀さんから電話があって、「名古屋に行くので、親御さんと一緒にお目にかかりたい」と。あとから考えると、ルックス確認なんですよ。まだ僕がどんな顔をしてるかわからないから。
林:不細工だったらそのまま帰ろうと思ったら、背の高い美少年があらわれたわけですね。
舟木:「一日も早く東京に出てこい」ということになって、高校3年生の5月に東京に出て、作曲家の遠藤実先生のレッスンに通いました。その年の秋、堀さんに誘われて会社近くの公園で2人で日向ぼっこしてるとき、「この世界、売れない可能性が99%だ。売れなかったらどうする?」って聞かれて、「僕は売れるために出てきましたから、売れます」と答えたんです。
* * *
林:そもそも舟木さんは、松島アキラさんの「湖愁」を一緒に歌ったのがきっかけでデビューされたんですよね。
舟木:名古屋のジャズ喫茶に松島アキラさんが来るというんで、友達と一緒に行ったんです。司会の人が「どなたか一緒に歌う人いませんか」と言ったとき、友達が僕の手をパッとつかんで挙げたんです。「はい、そこの君」って引っ張り上げられて、松島さんが1コーラス目を歌って、僕が2コーラス目を歌って、3コーラス目を2人で歌って……。
林:すごくうまかったんですね。
舟木:どうなんですかね。そのとき「週刊明星」の記者に呼び止められて、住所と電話番号を書いて渡したんです。2、3カ月後、学校から帰ったら親父が、「東京の堀さんという人から、テープをつくって送ってほしいと電話があったぞ」って。
林:その「週刊明星」の記者が、堀(威夫。現・ホリプロのファウンダー最高顧問)さんに「うまい子がいた」という話をしたんですね。
舟木:それでデモテープをつくって送ったら、3カ月ぐらいして、また堀さんから電話があって、「名古屋に行くので、親御さんと一緒にお目にかかりたい」と。あとから考えると、ルックス確認なんですよ。まだ僕がどんな顔をしてるかわからないから。
林:不細工だったらそのまま帰ろうと思ったら、背の高い美少年があらわれたわけですね。
舟木:「一日も早く東京に出てこい」ということになって、高校3年生の5月に東京に出て、作曲家の遠藤実先生のレッスンに通いました。その年の秋、堀さんに誘われて会社近くの公園で2人で日向ぼっこしてるとき、「この世界、売れない可能性が99%だ。売れなかったらどうする?」って聞かれて、「僕は売れるために出てきましたから、売れます」と答えたんです。
林:へぇー。
舟木:あのときの景色も言葉も、いまでもはっきり覚えてます。堀さんはそのとき、「こんな生意気なやつはいない」と思ったって、あとから聞きました(笑)。
林:ほめてしかるべきだと思いますよ。「その心意気やよし」と。
舟木:上京して約1年後の6月5日、「高校三年生」でデビューしたら、1カ月で30万枚ぐらい売れたんです。25日に堀さんに呼び出されて、「たった20日でこんなに売れちゃって、いくら払っていいかわからない。とりあえず今月はこれで勘弁してくれ」と最初のお給料をポンと渡されて、翌月から歩合制になったんです。
林:お金がバンバン入ってきたわけですね。でも若いから使い道が……。
舟木:うちは親父があんなですからね。とにかく妹と弟に僕と同じ思いをさせちゃいけないと、20歳のときに家を買って家族を呼んだんです。
林:お父さん、困ったことがいろいろあったんですか。
舟木:「飲む、打つ、買う」を人の10倍ぐらいやる典型的な遊び人でした。小さな映画館と興行師をやってましたが、僕が売れたことで50歳くらいで仕事をしなくなっちゃったんです。僕、親父に言ったことあります。「いくら僕が売れたからって、一家の大黒柱を放棄したのは、失敗だろ」って。
林:お父さまのこと、たしかお芝居にされてますよね。
舟木:僕は最初「いやだ」と言ったんです。お金を取ってお客さまに見せる種類のものじゃありませんからね。
林:お芝居はお父さまが亡くなられてからですか。
舟木:そうです。親父が亡くなるまで、僕は親父に関して一言も外でしゃべったことはないんです。親父の人生ですからね。だから「週刊明星」が、親父が女房を取っかえたという話を書いたときには、編集部に怒鳴り込みに行きましたよ。翌日か翌々日、当時の副社長と編集長が謝罪にいらして、逆にこっちが恐縮しちゃいましたが。
林:それはそうですよ。「週刊明星」がバーンと売れたのは、舟木さんのおかげですもん。
※週刊朝日 2015年12月18日号より抜粋
舟木:あのときの景色も言葉も、いまでもはっきり覚えてます。堀さんはそのとき、「こんな生意気なやつはいない」と思ったって、あとから聞きました(笑)。
林:ほめてしかるべきだと思いますよ。「その心意気やよし」と。
舟木:上京して約1年後の6月5日、「高校三年生」でデビューしたら、1カ月で30万枚ぐらい売れたんです。25日に堀さんに呼び出されて、「たった20日でこんなに売れちゃって、いくら払っていいかわからない。とりあえず今月はこれで勘弁してくれ」と最初のお給料をポンと渡されて、翌月から歩合制になったんです。
林:お金がバンバン入ってきたわけですね。でも若いから使い道が……。
舟木:うちは親父があんなですからね。とにかく妹と弟に僕と同じ思いをさせちゃいけないと、20歳のときに家を買って家族を呼んだんです。
林:お父さん、困ったことがいろいろあったんですか。
舟木:「飲む、打つ、買う」を人の10倍ぐらいやる典型的な遊び人でした。小さな映画館と興行師をやってましたが、僕が売れたことで50歳くらいで仕事をしなくなっちゃったんです。僕、親父に言ったことあります。「いくら僕が売れたからって、一家の大黒柱を放棄したのは、失敗だろ」って。
林:お父さまのこと、たしかお芝居にされてますよね。
舟木:僕は最初「いやだ」と言ったんです。お金を取ってお客さまに見せる種類のものじゃありませんからね。
林:お芝居はお父さまが亡くなられてからですか。
舟木:そうです。親父が亡くなるまで、僕は親父に関して一言も外でしゃべったことはないんです。親父の人生ですからね。だから「週刊明星」が、親父が女房を取っかえたという話を書いたときには、編集部に怒鳴り込みに行きましたよ。翌日か翌々日、当時の副社長と編集長が謝罪にいらして、逆にこっちが恐縮しちゃいましたが。
林:それはそうですよ。「週刊明星」がバーンと売れたのは、舟木さんのおかげですもん。
※週刊朝日 2015年12月18日号より抜粋
本人が明かす「今さら舟木一夫もねえよな」よりもイタかったこと
大ヒット曲「高校三年生」でデビューしてから半世紀以上。70歳を過ぎてなお、ファンを熱狂させる魅力を持つ舟木一夫さんが、作家・林真理子さんとの対談で明かした、売れない時代に言われて最もきつかったこととは。
* * *
林:奥さまって、大学を出たばっかりの若い方でしたよね。
舟木:七つ違いかな。結婚したのは僕が29歳のときですね。
林:舟木さんが苦しかったときも、ずっとついてきてくださったんですよね。
舟木:そういう時期も、「すまないね」とか「頑張るからね」とか、そんな歯の浮くようなこと言えなかったですね。お互い嫌いで一緒になったわけじゃねえんだからしょうがないと。僕は30代半ばから40代前半がいわゆる“寒い時期”で、小さな商業施設の営業にも行きました。
林:「あの舟木一夫が? ウソ!」って感じだったんじゃないですか。
舟木:いや、敷地内の喫茶店でお茶を飲んでると、「今さら舟木一夫もねえよな。お客なんか来るのかい」なんて会話が聞こえてくるんですよ。
林:ひどい!
舟木:僕は「ああ、そうだろうな」と思うわけです。自覚してますから。でも、突き刺さるのはそういう会話じゃないんです。タクシーに乗って「どこそこにお願いします」って言うと、声でバレるんですね。「舟木さんですか」「はい」「私の青春時代、みんなで『学園広場』を歌ったもんです。いい時代でした」。お金を払おうとすると、「けっこうです。いい記念になりました」ってスーッと行っちゃう。罵声よりはそっちのほうがイタかったですね。
* * *
林:奥さまって、大学を出たばっかりの若い方でしたよね。
舟木:七つ違いかな。結婚したのは僕が29歳のときですね。
林:舟木さんが苦しかったときも、ずっとついてきてくださったんですよね。
舟木:そういう時期も、「すまないね」とか「頑張るからね」とか、そんな歯の浮くようなこと言えなかったですね。お互い嫌いで一緒になったわけじゃねえんだからしょうがないと。僕は30代半ばから40代前半がいわゆる“寒い時期”で、小さな商業施設の営業にも行きました。
林:「あの舟木一夫が? ウソ!」って感じだったんじゃないですか。
舟木:いや、敷地内の喫茶店でお茶を飲んでると、「今さら舟木一夫もねえよな。お客なんか来るのかい」なんて会話が聞こえてくるんですよ。
林:ひどい!
舟木:僕は「ああ、そうだろうな」と思うわけです。自覚してますから。でも、突き刺さるのはそういう会話じゃないんです。タクシーに乗って「どこそこにお願いします」って言うと、声でバレるんですね。「舟木さんですか」「はい」「私の青春時代、みんなで『学園広場』を歌ったもんです。いい時代でした」。お金を払おうとすると、「けっこうです。いい記念になりました」ってスーッと行っちゃう。罵声よりはそっちのほうがイタかったですね。
林:私も直木賞をとるためにテレビに出るのやめて、家にこもって書いていたころ、タクシーの運転手さんに「このごろ見ないけど、何で食べてるの?」って言われたことありましたけど。
舟木:まあ、あのころの一般論ですよね。流行歌手は売れてる順番にわんさかとテレビに出てましたから。
林:当時は日本列島がその歌一色になりましたよね。誇張じゃなくて。
舟木:今はテレビの歌番組も少ないし、顔ぶれも決まってるわけですよ。一人ひとり自分が好きな歌をイヤホンで聴いてますからね。今、流行歌って、ほとんどカラオケの世界でしか生息してないんじゃないかな。
林:そういう中にあって、舟木さんは「通じる人たちだけを相手に歌います」とはっきりおっしゃって、その数が増えているというのがすごいですね。コンサートのとき、「高校三年生」を別とすれば、皆さんがいちばん喜ぶのはどの歌ですか。
舟木:おかげさまでたくさんありまして、「学園広場」「北国の街」「哀愁の夜」「絶唱」「高原のお嬢さん」……。
林:私、この季節に枯れ葉が舞っているところを歩くと、「高原のお嬢さん」の「♪あの人に逢いたい……」というメロディーがふっと出てくるんです。
舟木:あれは名曲ですよ。あの曲や「銭形平次」は、似たようなものを作ったらすぐバレちゃうメロディーです。
※週刊朝日 2015年12月18日号より抜粋
舟木:まあ、あのころの一般論ですよね。流行歌手は売れてる順番にわんさかとテレビに出てましたから。
林:当時は日本列島がその歌一色になりましたよね。誇張じゃなくて。
舟木:今はテレビの歌番組も少ないし、顔ぶれも決まってるわけですよ。一人ひとり自分が好きな歌をイヤホンで聴いてますからね。今、流行歌って、ほとんどカラオケの世界でしか生息してないんじゃないかな。
林:そういう中にあって、舟木さんは「通じる人たちだけを相手に歌います」とはっきりおっしゃって、その数が増えているというのがすごいですね。コンサートのとき、「高校三年生」を別とすれば、皆さんがいちばん喜ぶのはどの歌ですか。
舟木:おかげさまでたくさんありまして、「学園広場」「北国の街」「哀愁の夜」「絶唱」「高原のお嬢さん」……。
林:私、この季節に枯れ葉が舞っているところを歩くと、「高原のお嬢さん」の「♪あの人に逢いたい……」というメロディーがふっと出てくるんです。
舟木:あれは名曲ですよ。あの曲や「銭形平次」は、似たようなものを作ったらすぐバレちゃうメロディーです。
※週刊朝日 2015年12月18日号より抜粋
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我が道 Vol.4 三代続けてカタギじゃない
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