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Channel: 武蔵野舟木組2019 舟木一夫と共に
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舟木一夫30歳

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1976年(昭和50年)NHK「ビッグショー”愛の絶唱”」より
2012年の大阪一か月公演「浮浪雲」で共演した亀さんこと秋吉久美子さんとは、この年にテレビとは言え共演されていました。
この年秋吉さんが出演された「さらば夏の光よ」「あにいもうと」でブルーリボン賞主演女優賞を獲得され、本格化女優の道を歩まれ始めた頃です。
舟木さん30歳、秋吉久美子さん22歳。

かめさんと雲のお二人、何だかずいぶんと懐かしく感じてしまう。

なべおさみさんは、当時36歳。この年の1月にあった日劇舟木一夫新春公演にゲスト出演され、あくる年には新歌舞伎座公演「さくら仁義」にも出演されている。なべさんと言うと、息子のなべやかんさんの明治大学替え玉受験問題が思い出されるが、この事があって、マスコミから袋叩きにされていたなべさんを気遣って、舟木さんが何度も食事に誘ったという話は、舟木さんの優しさを知る逸話として記憶に残っている。

柳家小さん師匠は、その後落語協会の会長になり、晩年は人間国宝になった。この当時はまだ、今のようにお笑い芸人がテレビを埋め尽くすような事はなく、バラエティー感覚を取り入れる番組の中に、落語家さんたちが活躍して時代だったから、出演されたのだろう。落語好きな舟木さんだけに、この共演は、舟木さんもさぞ嬉しかった事だろうと思う。


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ここからは、舟木さんとは離れた話となるが、
小さん師匠と私が初めて会ったのは、1967年に日本武道館で行われた国際親善剣道大会の時だった。今では国際剣道連盟も出来、世界的にも剣道の普及が進んでいるが、全日本剣道連盟が創立100周年を記念して、世界10か国から剣士を招いての親善剣道大会だった。
小さん師匠は、落語家として頂点を極めた方だが、元々は職業剣道家を目指していたが、中耳炎で断念された剣道家。
小さん師匠は選手として出場されたのだが、私も運よくこの大会の選手として参加した。皇居の中にある皇宮警察の剣道場である済寧館で練習稽古があり、東京オリンピック開催で作られた武道館での試合。
勿論この時は、柳家小さんではなく、本名の小林盛夫で出場された。

小さん師匠とのつながりは、我が家の中ではまだ終わらない。
ご存じのように、わが父はアマチュアの剣道家だった。ここで言うアマチュアとプロ(職業剣道家)との説明をすると、一般的に剣道専門家と呼ばれる人は、殆どが警察官。各警察には剣道場や柔道場があり、一般の警察官は、ここでどちらかの武道の修練をする。それを教えるのが助教であり、この助教を指導するのが各県警にいる師範と呼ばれる先生たち。中でも東京警視庁の師範の先生たちは、剣道界の頂点と言っても良い。
また話は離れるが、今日行われる全日本剣道大会の出場者をを見ても判る通り、全国からの出場選手は、警察官ばかりのはず。
父はと言うと、普通のサラリーマン。毎日稽古が出来る訳でもなく、週二回の道場通いと、休みの日は各地に出稽古。おのずと稽古量の差が出る。ましてや21歳の時に戦地で片目を失明。隻眼の剣士だった。
小さん師匠の晩年は、父との交流が続いた。
父が会長を務めた大きな大会には、必ず来賓として参加して頂いたり、剣を交えたり、酒を酌み交わしたりがあったようだ。
実際は、父と離れて生活していた期間が長いので、詳しい事は判らないのだが、先日も父の遺品を片付けている際に、多くの小さん師匠の描かれた手拭や風呂敷などと共に、師匠からの手紙が何通も出て来た。
享年87歳。剣道範士七段。
落語と剣道とどっちが好き?と聞かれた師匠。「剣道」と答えられていたという。
3年後、わが父も87歳で没。剣道範士八段、居合道範士八段だった。



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