元日や 我をしのぎし 孫の丈 佐野青陽人正月2日は、母の実家に親戚中が集まる。その数は30人は軽く超えていただろう。祖父を中心に、座が囲まれる。しばらくするとお酒の入った大人たちが、それぞれに何かを始める。酒席での芸達者が揃っている。時期を見て私が呼ばれ、恒例の謡曲「鶴亀」が始まる。「それ青陽の春になれば 四季の節会の事始め 不楼門にて日月の~」シテはなく、祖父、伯父、叔母、母などの地謡で始まる。祖父の俳号は、この鶴亀の冒頭にある「青陽」と、貿易関係の仕事をしていた「西洋」とを掛け合わせて号としたと聞く。「いかに奏聞申し候。毎年の嘉例の如く。鶴亀を舞はせられ。その後月宮殿にて舞楽を奏せらりょうずるにて候」ワキのこの部分は、私の出番で、毎年やるのが恒例だった。冒頭の句は、祖父が私のことをうたった句である。正月2日の我が家では、とろろ飯と塩ジャケが朝食。「二日とろろ」秋田出身の父は、これに拘って、毎年自分で長芋を擦っていた。もちろん味付けは味噌味。今日、我が家でもとろろを食べる。父上様、母上様、三日とろろ美味しゅうございました。東京オリンピックマラソンの円谷幸吉選手の遺書の中にある言葉を思い出す。彼の出身地福島県須賀川では、「三日とろろ」なのだろう。さて、今年はこうして舟木さん以外の話も書く事になると思いますが、よろしくお付き合いください。
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舟木一夫カレンダー 1月
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