$ 0 0 ランキングチェックお願いしますこの年の9月、日本コロムビアの常務兼レコード事業部長でプロデューサーだった伊藤氏が、三菱電機の支援を受け独立し、日本クラウンを設立。この時、作詞家の星野哲郎、歌手では北島三郎、まだデビュー前の水前寺清子らがコロムビアからクラウンへと移って行った。翌年、水前寺清子はクラウンからデビュー。西郷輝彦もデビューしている。当時の日本コロムビアの支持母体は日立グループ。日本クラウンの支持母体は三菱グループ。レコード界が大きく動いた時だ。