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おはようございます。
舟友さんより、沢山の資料を送って頂きました。デビュー当時からの貴重な資料です。今回は予告という事で、昭和42年の舞台広告と映画広告の載った新聞からです。
今ではこのような広告が、毎日載るような事はありませんが、当時は、映画の封切やロードショーのスタートする金曜日には、必ず載っていました。それを見るのが、新聞の一番の楽しみだったような気がします。
同じ様に、ラジオ・テレビ欄を見るのも楽しみで、新聞と言うと、それしか見なかったような気がします。今では、一面から順番にニュースを読むようになり、逆にラジオ・テレビ欄や広告に目を留める事は、殆どなくなっています。
今回頂いた資料には、当時のラジオ・テレビ欄の資料もあり、懐かしく当時の番組を思い出しています。
今後はそれらも掲載させて頂きますので、楽しみに待っていただければと思っています。若干、今までのスタイルと違う投稿になるとは思いますが、皆さんにも一緒に当時を思い出して頂ければと思っています。
当時のさすらいは、舟木詣でをする事もなく、映画青年でしたから、映画ばかり見ていました。地元武蔵野では、吉祥寺に沢山の映画館があり、中央線沿線の各駅にも、幾つもの映画館がありました。地元武蔵境にも2軒、三鷹にも2軒か3軒あり、武蔵小金井にも2軒。吉祥寺には、東宝、日活、大映、松竹、東映の他、武蔵野、井の頭会館、スバル座、オデオン座など9軒の映画館がありました。
ラジオで募集している試写会にも何度もハガキを出して、銀座にあるホールまで出掛けたものでした。年間100本を目標に見ていた時期があり、最高は400本近く見たものです。ただ、パールバックの「大地」と言う映画を見ていて寝てしまい、それ以来、映画館に行くと寝てしまうと言う失態ばかりで、映画を見る本数も、極端に減って今しました。(笑)
地元の映画館(三本立て)は、3か月から半年遅れでの上映でしたが、封切が当時250円以上で、ロードショーは300円から500円位でしたから、170円の地元の映画館にしか殆ど行きませんでした。そこでは、日活と東宝が中心で、たまに大映の映画でしたから、東映、松竹などの映画は余り見ていません。日活映画での舟木さんは、その地元の映画館でほとんど見た訳です。「その人は昔」だけは、どうしても見たくて、吉祥寺東宝に見に行ったものです。そこで買ったパンフレットは、今でも宝物のように持っています。
この広告の、「忍者武芸帳」はATG製作の映画で、見ていますし、洋画の2本も見ています。残念ながら「一心太助」は後に見る事になります。