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撮影現場の写真を見るのは大好き。それもこうして沢山のファンの方に囲まれている姿を見ると、当時の舟木さんがどれほど人気があったかが一目瞭然となる。
大勢の人の前で演技をするのも大変だけれど、周りのスタッフさんは迷惑だっただろうな。と思うのはさすらいだけかな。(笑)なにせ撮影現場と言うのは、怒号が飛び交うような凄いところだから、「面倒だなぁ~」と思って仕事をしているスタッフさんも多かっただろう。
この写真も、最近アップしたことがあったように思っていたけど、3年も前の事だった。1000日以上経っているのに驚いている。
写真の撮影は「一心太助」1967年の作品だから、丁度50年前で半世紀も前だ。
50年前って一体自分は何をしていただろうと振り返ってみた。
大学の一年で剣道部。防具を担いで大学の校舎までの急な坂道を良く登っていた。授業を受けるよりも剣道の稽古をするのが楽しみで行っていたような気がする。そしてこの年の秋。剣道の世界選手権が毎年行われようになる前の、きっかけとなった武道館での国際親善剣道大会へ、日本の代表の一人として試合をした。同じ時に、のちに落語家で人間国宝になられた柳家小さん師匠も、本名の小林盛夫の名前で出ておられた。私の相手は、その後世界選手権でアメリカ代表の監督をした四海君。
丁度NHKでの放送があり、私の試合は全国中継されてしまった。まぁ何とか勝ったから、剣道部の先輩にも怒られる事はなかった。
いやはや、写真一枚で、忘れていたことを思い出した。
当時は今と変わらぬ身長だったが、体重は今よりも30キロも少なかったから、スラリとした「いい男」だったことは間違いないね。(笑)