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Channel: 武蔵野舟木組2019 舟木一夫と共に
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明日は初日 思いをはせる・・・

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いよいよ明日初日を迎える大阪・新歌舞伎座の舟木一夫特別公演。
明日の初日に向かわれる皆さんは、わくわくしながら明日になるのを、遠足の前日の小学生のようにお待ちになっている事でしょう。

ゴールデンウィーク真っ只中、さすらいの人生の中で、この時期は、東京から京都に向かう事が多く、未だにドキドキとする時期です。
京都ではこの時期、全国から高段者の剣士たちが、平安神宮の裏にある武徳殿へと向かいます。「京都大会」は剣道を志す者にとっては、一年の中で一番のイベントです。ここ十五年ほどは、それも行く事はないのですが、五月の京都には特別な思いがあります。

特別攻撃隊、玄武隊の生き残りだった藤木さんは、京都在住でした。私の父とは戦友で、その後別々の道を歩み、父は満州で片目を失い傷痍軍人として戦中に日本に戻りました。一方藤木さんは、玄武隊として各地を回り生き残りました。
ある時、新聞に寄せ書きをした日章旗の写真が載り、藤木さんが戦友たちを探しているとの記事でした。その寄せ書きに父の名前もあり、そこで戦後20余年経っていましたが、父と藤木さんが再開を果たします。
毎年行われる京都大会に、欠かさず参加していた父でしたが、実は、毎年藤木さんも友人の試合を見に、京都武徳殿に来ていた事が判明します。その後の五月の京都は、大会に出場して剣道八段の審査会に出場するだけでなく、藤木さんと父の年に一度の再開の場所となったのです。
その後、居合道八段合格、剣道八段合格、居合道範士剣道範士合格と、順調に思いを遂げた父は、その後も京都に向かいます。それら付き添っていたのが、母であり私でした。

父が亡くなった10数年前の事、その年も京都に向かう段取りをしていた正月、藤木さんからの便りがないことを父は気にしていました。五月が近づき、それでも連絡がなく、突然見知らぬ方から手紙が届きます。独身で一人住まいの藤木さんは、1月に亡くなられていました。その時の父の落胆は、今でも思い出します。
その年の五月は、お弟子さんの車で京都に向かいました。私は後を追うように数日後に京都に向かいます。そりがあまり合わない私と父。それでも毎年私が京都に行く事を楽しみにしていました。定宿は武徳殿の近くのホテル。沢山の剣士が泊まっています。

その夜は、父が何度もトイレに立ち唸っています。お腹の調子が悪いようです。
そんなことはあまり気にしていなかったのですが、あくる日私は先に東京帰りました。数日後父も帰京。

異変に気が付いたのはカミサンでした。すぐに病院へ行きましたが、老人性の疾患だから、と薬だけで返されます。その後さらに悪化、精密検査の結果即入院となります。手術をして、回復すると思われましたがさらに悪化して手術。その手術が悪かった。結果的にはそれが元で4か月後に亡くなります。
藤木さんとの別れが、大きなショックで、それが一番の原因だったかも知れません。

葬儀には京田辺の剣道界の重鎮森田先生が来てくださいました。葬儀の後、森田先生が歌われた「仰げば尊し」は、一生忘れることはできません。

5月15日新歌舞伎座に向かいます。16日のチケットだけ今日確保しました。
17日18日は京都です。いろいろ考えていましたが、予定を立てずに行動しようと思っています。
浅草公会堂は、1日目の夜の部だけ確保できました。
旅行のチケットも連絡がなく、今日連絡したら、まだ新幹線の時間も決まらないそうです。なんだかのんびりし過ぎて、やることなす事後手後手のさすらいです。(笑)

今日は変な記事でごめんなさい。





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