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御三家の中で、一番乱暴者は私。舟木さんの言葉です。
良くも悪くも御三家と言う言葉で、括られた時代がありました。三人の中で、御三家と言う言葉を一番意識していなかったのは舟木さんではないでしょうか。今考えるとマスコミに作られた御三家と言う言葉が、長い間付いて回りました。同時期に三田明さんが鮮烈なデビューを飾っていますが、玉置宏さんが評した四天王の言葉は、ほとんど使われる事がありませんでした。同じレコード会社ビクターの橋幸夫さん三田明さん、レコード会社の思惑もあったのでしょう。
御三家と言う言葉を聞くと、今でもそうした事が気になっています。
御三家の中で、デビューから駆け足が一番早かったの舟木さんでした。そんな事から、一番先に消えて行くのは自分であると、舟木さんも考えられていたのだと思います。
船村先生からの電話は、これまた有名な話ですが、船村先生の言葉があったからこそ、今の舟木さんがあるように思います。船村先生の愛弟子と言う言葉からは、どうしても舟木さんのお名前が出る事はありません。北島三郎さん、鳥羽一郎さん、大下八郎さんなど。しかし船村先生の中には、夕笛やその人は昔などの楽曲を提供した舟木さんへの思いは、とても強いものだったと思います。その証は、最後の船村先生のお弟子さんである村木弾さんを、舟木さんに託した事に表れていると思います。
昨日4月19日村木弾さんの二曲目「都会のカラス」が発売されました。
こちらから試聴できます。